家を整理しているので、家のなかがだんだんスッキリしてきた。派手な色やプリント柄の洋服なども処分したので、全体に、視覚的にもとても快適になってきた。

 

なんでもっと前から、こんな風にしなかったのだろう、と思う。

 

人生にも家にも、夾雑物はないほうが良い。

 

 

 

真珠

 

 

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洋服やらアクセサリーをどんどん処分していくなかで、いくつかレスキューしたものがあるなかの一つのこと。

 

おともだちと伊勢に行く2、3年前、母と伊勢に行ったのだが、そのとき、ミキモトで買った小粒のパールのネックレス。所々にちょっと大きめのをはさんだ三連のもので、三連といっても、それぞれの円周が2、3センチほど離れている、繊細なつくりのもの。

 

あまりつけてはいなかったが、大好きなもので、且つ、これは譲り受けたパールと違って、自分で買ったものだったので、レスキューしたのであった。

 

飾りのない、真っ白な正方形の、美しい箱に入っていたのだが、箱のほうは東日本大震災のあと、アクセサリーは本体だけ残して、ケースなどは皆処分して、まとめて置いておくというように、サバイバルモードにしてしまったので、残念ではある。

 

おともだちに那智勝浦で買ってもらったこれも三連の珊瑚のネックレスとともに、私の二大宝物である。

 

この可愛らしいパールたちを眺めていると、伊勢の青い海、明るい陽光を思い出す。

おともだちと行ったのは5月で初夏だったから、もう半分夏のようで、海もキラキラしていた。

 

人生に完全な幸福というものがあるとすれば、あの時間こそ、それだったと思う。

 

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昨日、電話がかかる夢の話を書いたのだけど、その電話がかかる前段に、ぼんやりと、

カエルの卵みたいなものを見たような気がした。それでますます意味がよくわからなかったのだが…。

 

今日になって、それが形をとったのか、それは子供に関わることだった。電話は私に

かかったものなのだろうが、それでも私を特定しているわけでもないのかもしれないと

今思ったりする。

 

世の中には現実の背後でエネルギーが動き、交換され、しかるべきのちに、現実になっていくということがあるように、最近は感じられる。

 

今日は朝から、鍵かけで全然使っていないツイッターのアカウントがあるのだが、自分のツイートを大量に削除、そのあと、フォローも、ニュースなどの公式アカウントを除いては、全部アンフォローしてしまった。

 

というのは、使っていなくても、そこにいろんな問題が発生するらしいのであることを、夢が告げたからである。ただ、具体的に何をすればよいのかは自分で考えなくてはならない。

 

大鉈をふるったあとで、大丈夫かな、となんとなく心配になった。埃をはたくつもりで、別の弊害が出たことは、これまでも結構あるからである。捨ててはいけないものを捨ててしまったり…。

 

この弊害というのが、気づかなかったが、実は今朝の夢で知らされていて、やってしまってから、ひょっとしてあれでは、と気がついたのであった。(夢は私の失敗を織り込み済みということか)

 

エドワード7世とジョージ5世が、孫のエドワード8世、ジョージ6世と甲板にいる写真で、大人二人は軍装という写真が私のリツイートのなかにあって、それも削除してしまったのであるが、今朝見た夢で、セーラー服の男児と軍帽の大人というのがあったのであった。

 

瞑想して尋ねてみると、私が相互フォローしている女性でロイヤル好きのアカウントのアイコンの模様が見えた。

 

そうして思い出すと、今日の夢、ずっと明け方になってからのものでは、ロングスカートの女性(白目を剥いた)が、子供の手を引き、もう一方の手には赤ん坊を抱いているというものがあったことを思い出した。

 

エネルギーはたとえば、私の向こうにあるものもネット上などでは感じることができるらしい。それはこれまでも何度も体験したので、SNSはやめたのであった。

 

どうも、その女性は私の向こうにいる、おともだちにエネルギー的に惹かれて(何も書いたりしたことはないのに)、その延長線上に子供を持つということさえ、無意識に思っていることが、私に夢で知らされたのであろう。

 

そして、私が単なるデータとして消してしまった、二人の子供の写真、それが、私が捨てたと同時に、彼女のほうへエネルギー界では流れていってしまったのかもしれない。

 

それに気づいて、慌てて復活しようとしたが、削除したツイートはツイログを使っても200ぐらいしか見れないらしい。

 

まさかこんなことがあろうとは、と思ったが、前日の卵の夢がこれでつながった。

 

復元は無理なので、TW上でエドワード7世で検索して、記憶にある写真を探し出し、

新たにリツイートして(もともとも、リツイートだったので)、自分のアカウントに置いておき、さらに、その女性をブロックしたのであった。

 

これが今私ができる精一杯のことであった。

 

子供の問題は、夢でもたびたび出てくることがある。それは私の側の心理的な問題なのかもしれないし、ほぼ10年前、おともだちと再会したときに、どうして妊娠しなかったのだろう、という思いは今もときどきあったりする。

 

おともだちは、帰国してから、そのことを電話で尋ねてきて、ダメだったと私が答えたら、「年だから…」と結構シビアなことを言ったりしたが、真相はわからない。

 

札幌にいるころだったか、母が鉄兜みたいになっていて、それが灯台のように回りながらサーチライトを出す。その先に、狭い2段ベッドにおともだちと私がぎゅうぎゅう詰めになっている姿がある。そうして、何かツリーみたいなものに、修道女の人形がぶらさがっているという、不気味な夢を見た。

 

あの旅行に行くときに、母が冗談っぽく、喧嘩しないか遠眼鏡で見ているから、と言ったのは、実は監視だったのか、と。それに縛られた(狭いベッド)ことが不首尾のあるいは理由だったのかもしれない。

 

私がもはや妊娠可能な年齢ではないということや、実際にコンタクトがなくてもそれを望んでいるエネルギー界のひとたちがいるとしたら、私はなすすべがない。

 

ただひとつの望みは、おともだちは男性として当然ながらそれを望む気持ちがあるとしても(だから日本の、いわば茫漠に向かって電話するのだと思う)、それを捨てて、私を選んでくれること、それに尽きる。それは強要できることではないのだが、私は、おともだちと幸せになりたいし、多分、いろんな苦労を経て、私も大分変わって、おともだちを幸福にすることが前よりできるかな、と思っている。

 

ちなみに、夢ではときどき、「白目を剥いた」j表情が出てくるのだが、これは、ブラックな内面とか、あまりよくないときに使われているようだ。

 

 

 

 

 

 

今朝がた、見た夢は電話がかかる夢だった。

 

時々母から電話があるが、それはもう私にとっては恐怖と緊張で、「どう、会わない?」とか言われるのをなんとか避けようと、いつも電話がなると手に汗をじっとりとかく。

 

夢の電話は当然母だと思って身構えた。それで半睡状態で、いろんな言い訳を考えた。焦りながら、今大事なことをいろいろ考えて、思考実験みたいなことをしていて、孤独と集中が重要だから、今はちょっと無理、みたいなことを、ぶつぶつ夢のなかで、断りの言葉として言った。(実は何も仕事はしていないのだが、会うのを避けるために最近は、書いたものをまとめているとか言っている)

 

その直後、携帯メールが鳴って、人身事故の知らせだった。こういったものは、私の最近の現実と連動するので、「ああ、怒らせてしまったな。この言い訳ではきかなかったのだな」と思った。

 

そのあと、噴火する火山などのイメージがあらわれ、ますます戦々恐々とした。その後は、怒らせたあとのできごとの予見なのだろうか、ヤマアラシが出てきたり、浴室に灰色のタオルみたいなものが落ちていたり…。

 

怒らせて、結局そのあとは、私が医者かなにかに抱えられてベッドに横たえられて、

事故か病気か、そんなことになっているのだが、母を怒らせたにしては、瀕死状態なのもなんだかつじつまがあわない。口に黒いマスクがかけられている。

 

そうして、玄関においてある、おともだちのスリッパが片方づつ消えていく。

 

馬鹿な私は、あまりにも、母の電話要注意とばかり思っていたのだが、このつじつまのあわなさは、ひょっとして、これはおともだちからの電話の予兆夢だったのかもしれない、と、今夕方6時になってようやく気がつき出した。

 

夢のなかでは、携帯電話か固定電話かなどはわからないから、電話というだけで、縮み上がってしまったのだった。

 

どうしよう。実際にまだ起こったことではないが、それも同然である。夢のなかでさんざん断っているわけだから。きっとおともだちはリアルに感じただろうと思う。

 

これらの夢は昨晩の夜中前だったのだが、そういえば、明け方になって見た夢は、おともだちや、いろんな人とどこか田舎の町へ来ているらしく、おともだちは、自分の白いシャツを示して、この染み抜きは自分でやったんだ、と説明するというものである。

 

夢のなかで、その染みは、かすかな跡になって残っているだけで、ほとんどそれとわからない。

 

そのときは、なんのことだろう…と思っていたけれど、それは多分私の断わりに怒ったおともだちが、私を過去の染みとして、消してしまったのだろう…と、今、夕方になってようやくその意味がわかった。

 

勘違いといっても言い訳にしかならないけれど、本当に勘違いだったんです。人身事故もよく母の電話と連動していたこともあるし…。

 

もちろん、おともだちからの電話だとわかれば、すぐ駆けつけるわ。ごめんなさい、ほんとうに。

 

 

さきほどの、ゴキブリが示した二つの道のことだけれど、解釈と説明がちょっとおかしかったかな、と。

 

ラクな道をとればいいというのは、一般的な教訓としてはすすめるものではない。苦労は買ってでもせよ、と言ったりするし。

 

多分私の場合は、社会、というか、家族や周囲の眼でつくられてしまった、社会的に

活躍しなくてはという思いがどこかにあって、それは落ちたり這い上がったりでなかなかうまくいかないだろう。

 

それは自分に実はあってない、周囲から投影されたものだから、うまくいかないのだ。

平凡でももっと平穏無事な人生がありますよ、と言っているのだと思う。どこかで、

大きな成功や社会的栄達を望んでいる(つもりはないのだけど)私を戒めているのだと。あるいは、そうでなくても、なんらかの「意味」づけのある人生を望んでいるとか。

 

ゴキブリの行動で意味不明なものがあって、冷蔵庫とシンクの隙間で掃除ができないところがあって、のぞいてみると、ゴキブリのフンやらほこりでいっぱいである。

そこをしばらく這い回って停滞していた。

 

つまり、あなたはいつまで家族や親族に振り回されているのですか、ほこりだらけの古い世界で、介護にまみれた生活をするのですか、ということなのかもしれない、と。

 

だから、引っ越しに注意というのも、母がこちらへやってくるような兆しがあったら、

気をつけて阻止しなさい、ということだろう。

 

夢もそうだし、ゴキブリの言っていることもそうなのだが、これまでの「流れ」で親の世話をしたりしていると、よい人生はおくれませんよ、と、言っているのだと思う。

 

もちろん、そのためにこそ、古い人生の夾雑物を今大整理しているところなのである。

私の家には不思議なゴキブリがいて、時折、いろんな警告をしてくれていた。

 

昨日、「寂しいなあ、せめてゴキブリでもいいから出てきてほしいなあ」と言っていたら、夜寝がけに、指関節が痛いところにSMSのクリームを塗っていたら、その容器のところめがけて走ってきた。

 

このクリームはずいぶん前に買ったものだったが、結構高価なもので、やっぱりこういうものはよくないんだなあ、と納得した。

 

思い出せば、いろんなことがあった。ドイツ製の敷布団がやはり不適切であることとか。寂しくてぬいぐるみと寝ようとしたら、走ってきたりした。

 

そんな奇妙なゴキブリなのだが、時折出てくるぐらいで、それもひとつだけ何か教えてくれていた。

 

それが今日は早朝から、カーテンのすきまをテーピングすることとか、ラックにはさんであったパンフレットのいくつかが不適切、引っ越しの話に要注意(ヤマト運輸の段ボールのなかに入ったり)、男もののスリッパを玄関に出すように、とか、20あまりの指摘をしたので驚いたのだった。

 

おともだちが家にきたときに使ってもらったスリッパをリビングで使っていたのだったが、まずゴキブリはリビングの引き戸の真ん中でじっとしている。それからしばらくすると、両方のスリッパの周りを周回するのである。玄関まではいけないから、リビングのドアを玄関ドアに「見立て」ているわけである。

 

中でも今日のきわめつけは、掃き出しのサッシをうんうんいいながら、時間をかけて登っていったこと。最初に登ったラインはサッシの太い角で登りにくかったようで、一度落ちて再挑戦。その途中で、そのライン(角)と並行して走っているもうちょっと細い角のラインへ足をかけてうつり、その後は軽々とてっぺんまであがり、ゆっくりと降りてきた。

 

最初は何をしているのかさっぱりわからなかったが、要するに、あなたはわざわざ大変な苦労をするような道を選んでいませんか? 横にもっと無理をせずに楽に登れる道があるんですよ、というようなことを言いたかったのだろうと思う。(普通のゴキブリだったら、そうは思わないが、これまでも有益な示唆をたくさんしてくれていた)

 

これにはさすがに驚いてしまった。

 

しかし、問題はこれからだった。ゴキブリは一旦姿を消して、10時ぐらいに、CDプレイヤー(使ってないが)の後ろに出てきた。これが何を意味しているのか考えたりして、プレイヤーを片付けたりいろいろしたのだが、いっこうに動かない。時々方向を変えていたりはしたが。

 

午後じゅうずっとそのままだった。なんかおかしい、と思ったのが8時もまわったころ。ちょっと足のあたりをつついてみても動かない。それになんだかとても胴体が薄いのである。触覚も細くへなへなしていて、細糸ぐらいしかない。

 

ゴキブリは死んだのだった。あまりにショックで、言葉もなかった。朝から、まるで遺言のように、常ならぬたくさんのアドバイスをしてくれたのだった。

 

何度もありがとうを言って、ティシューにくるんで、小さな細長い紙箱がたまたまあったので、それに納めて、置いてある。明日にでも土に返してやろうと思っている。

 

ゴキブリがこんな煌々と電気のついたところにわざわざ出てきて、こんな長時間とどまったのも、考えてみれば奇妙なことだった。最期の姿を見せるのもなんだか昆虫らしくない振る舞いのような気がしたが、ゴキブリも寂しかったのかもしれない。

 

こうした不思議な暮らしのなかで、だんだん親近感を持ち始め、ピノキオのおじいさんのところにいる「ものをいうコオロギ」みたいなものだなあ、などと思い始めていたのに…。

 

明日はゴキブリのお葬式だ。今までのアドバイスに感謝をこめて。ただひとつ残念なのは、家には今、生ゴミもないし、シンクに水気が一切ないので、それで胴体があんなに薄かったのかな、ということだ。遅ればせながら、食料と水をちょっと出しておいた。もしも、後輩とかがいるならばお腹がすかないように、と。

 

さようなら、ゴキブリくん。

 

 

どうやって話したらいいのか…。

 

でも正直に話すのが一番よいと思うので、以下に書きます。言い訳めいていますが、最近の私はノーマルではあるのですが、追い詰められ感がひどくて、書くものを見ると正常に見えますが、行動が強迫的になっています。

 

家の中の大整理中なのですが、シンボルというとおかしいですが、特定の色を家から排除することにしていて、それはなぜかというと、母や妹が好んで身につけるシンボルカラーみたいなものがあって、母は緑、妹は黄色、そうした色のものを処分しています。

これは各々の、神道の玉の緒と呼ばれる色でもあります。

 

俄かには信じられないでしょうが、夢は母が今いるホームから出てきて、私に世話をさせる介護生活みたいなものを毎日のように見せています。実際、おとといぐらい、廊下に雨漏りが、という電話があったりしました。今はまだ廊下ですが…。

 

それを阻止するために、同じ色で引き合うものを家からエネルギーとして排除するための大整理でもあるのですが、黄色を見ると、こころ穏やかではなくなってしまいます。

 

アクセサリーも洋服も半分ぐらい処分しましたが、おともだちからいただいたものは着物やアクセサリーも含め、もちろん全部持っています。

 

以前いただいた、おともだちのおかあさんの洋服も華やかで着る機会はありませんが、二度の引越しを経ても、ずっととってありました。

 

が、魔が差したというか、その中に黄色のレースのドレスがあって、整理作業中にそれを目にしたとき「これは妹が着るものになるかもしれない」と急に不安に襲われ、処分品のなかに混ぜてしまいました。

 

おともだち関係のものはとっておくという大原則があったにもかかわらず、感情の波に煽られて愚かなことをしてしまいました。

 

着る機会はありませんが、ただ、最初にそうであったように、しまっておけばよかったのです。冷静に考えるべきだったのです。

 

今朝、回収場所に出したのですが、その後はっと我にかえり、なんということをしたんだろうと思い、探しにいったのですが、もう収集車が運んで行ってしまったあとでした。

 

市のクリーンセンターに電話をして、貴重なものを間違って出してしまった旨を話し、

この地区の収集車がセンターに来る時間を尋ね、取りにいくから調べてもらえないかと頼んだのですが、今日は回収が年末なので早かったのか、もうすでに大集積場のほうへ行ってしまっており、追跡不能だと言われました。

 

せっかくのいただきもの、また、今は着ることはできなくても、いつか着る機会もあるかもしれないのに、どうしてこんな軽率なことをしてしまったのか…。

 

あまりにも、「見えない力」を「見えない」がゆえに、恐れすぎた失敗なのだと思います。ほんとうにごめんなさい。それ以外のプリント柄のドレスは皆、大切にとってあります。