さきほどの、ゴキブリが示した二つの道のことだけれど、解釈と説明がちょっとおかしかったかな、と。

 

ラクな道をとればいいというのは、一般的な教訓としてはすすめるものではない。苦労は買ってでもせよ、と言ったりするし。

 

多分私の場合は、社会、というか、家族や周囲の眼でつくられてしまった、社会的に

活躍しなくてはという思いがどこかにあって、それは落ちたり這い上がったりでなかなかうまくいかないだろう。

 

それは自分に実はあってない、周囲から投影されたものだから、うまくいかないのだ。

平凡でももっと平穏無事な人生がありますよ、と言っているのだと思う。どこかで、

大きな成功や社会的栄達を望んでいる(つもりはないのだけど)私を戒めているのだと。あるいは、そうでなくても、なんらかの「意味」づけのある人生を望んでいるとか。

 

ゴキブリの行動で意味不明なものがあって、冷蔵庫とシンクの隙間で掃除ができないところがあって、のぞいてみると、ゴキブリのフンやらほこりでいっぱいである。

そこをしばらく這い回って停滞していた。

 

つまり、あなたはいつまで家族や親族に振り回されているのですか、ほこりだらけの古い世界で、介護にまみれた生活をするのですか、ということなのかもしれない、と。

 

だから、引っ越しに注意というのも、母がこちらへやってくるような兆しがあったら、

気をつけて阻止しなさい、ということだろう。

 

夢もそうだし、ゴキブリの言っていることもそうなのだが、これまでの「流れ」で親の世話をしたりしていると、よい人生はおくれませんよ、と、言っているのだと思う。

 

もちろん、そのためにこそ、古い人生の夾雑物を今大整理しているところなのである。