もうひとつのブログの記事アクセスの表示が出ないことが最近は多い。朝5時に「データがありません」と表示されていると、それを心待ちにしていた身としては、たいそうがっかりする。

 

訪問者がゼロのときは表示が出ないのは当然だが、訪問者がいても出ないことも結構あり、これは私が「しかるべきではない振る舞い」あるいは、ミスをしたときの、ペナルティのようなものらしい。

 

いろんなところで、知らずとおかした失敗が多々あるらしく、表示されないことも多くなってしまった。

 

加点法ではなく、きわめて厳しい減点法の世界。

 

家中の原稿用紙は皆処分したが、過去に書いたものも処分するようにと言っているらしい。また、白黒のツィードコート、持っている唯一のウールのコートだが、これも。

 

洋服は処分にあまり躊躇しないが、自分の書いたものは、このあいだから逡巡していたが、これがあとあと面倒を引き起こすようだったら、そうしようと思っているが。

 

今日は夢のガイダンスによれば危険な日。3ヶ月ぐらいも、家の周りから一歩も外へ出ていないので、大聖水式にいって、聖水だけもらってこようか、などと以前から考えていたのだが、まずいということだろう。夢のなかでは券売機の脇に黒いものが落ちていて、思わず、サリンか、などと思ってしまったが。

 

多分、今日の日に失敗などすれば、おともだちは永久に私から失われてしまうだろうことは、なんとなくわかる。代わりがもう控えている。

 

だから、そんなリスクを冒して出かけることは愚かしいことなのだが。それでも、夢がその日付を設定しているということは、こちらの忍耐の限界をも織り込んでいるのかな、と。

 

水とちょっとの冷たい食べ物しか食べない生活もそろそろ三ヶ月になる。母はまだ生きている。

 

 

 

 

 

 

今ちょっと先、夜の8時半ぐらいに電話が突然鳴ったのだけど、眠ったばかりで飛び起きて電話のところまで行ったのだが、留守電の応答が始まっていて、こちらは「もしもし」と言ったけれど、そのまま留守電だけがしゃべっていて…。

 

相手がいつ切ったのかはよくわからない。

 

ひょっとして、おともだちだったのでは?と。急いで出たけれど間に合わなかったということだろうか。

 

こんな夜に電話なんてかかることはないし。昼間でさえもないのに…。

 

留守電にいつもしてあるのは、母をK都へ引っ越しさせる案を出したときに、妹の家に電話して、留守ではあったが、番号を知られているためである。市外局番で場所はわかるから、そんなところからの電話を不審に思ったのだろう、一度かかってきたことがあった(留守電対応した)。

 

それ以来、相手先の声を確認してから、話すことにしているのである。

今更こんなことを言っても仕方がないが、こちらへ来るときに家人を北国に残してくればよかったと、つくづく思う。当初はその予定だったのだが…。

 

この二ヶ月でかなり痩せてしまった。BMIの標準値を割ったことなどかつてなかったのに。

 

ほとんど食べていないに等しいから当然だが、いったいいつになったら状況はよくなるのだろう。

 

ただただ疲れている。

昨日、久しぶりに植物の水やりをした。去年の秋ぐらいだったか、ジョウロが詰まってしまい、その後ペットボトルで代用していたのだが、夢のなかで水やりを減らすようにというようなサジェストがあったので、減らしていた。

 

さらに、そのペットボトルの水を捨てるみたいなのがあったので、これはもう水やりはダメということなのか、と。

 

1週間経ったが、昨日は、今度は、枯れかかったラヴェンダーや茶色くしぼんだシクラメンの花房、あたりが雑草みたいな夢を見たので、戸惑ってしまった。どうも、程度問題ということであったらしい。

 

それで慌てて、二つの鉢に給水した。

 

9年目の胡蝶蘭は室内なので、水の量を減らし目にして水やりを続けていたので、元気で、昨日ベランダと一緒に水やりをしたが、嬉しいことに、ひとつの鉢に花芽が二つ出ていた。

 

今日の夢では、処分したはずのプリント柄の洋服などがソファの上に散らばっていた。

モノだけ捨てても意識が変わらなければ同じ、という意味ではないかと思う。 

 

 

 

 

 

家を整理しているので、家のなかがだんだんスッキリしてきた。派手な色やプリント柄の洋服なども処分したので、全体に、視覚的にもとても快適になってきた。

 

なんでもっと前から、こんな風にしなかったのだろう、と思う。

 

人生にも家にも、夾雑物はないほうが良い。

 

 

 

昨日、電話がかかる夢の話を書いたのだけど、その電話がかかる前段に、ぼんやりと、

カエルの卵みたいなものを見たような気がした。それでますます意味がよくわからなかったのだが…。

 

今日になって、それが形をとったのか、それは子供に関わることだった。電話は私に

かかったものなのだろうが、それでも私を特定しているわけでもないのかもしれないと

今思ったりする。

 

世の中には現実の背後でエネルギーが動き、交換され、しかるべきのちに、現実になっていくということがあるように、最近は感じられる。

 

今日は朝から、鍵かけで全然使っていないツイッターのアカウントがあるのだが、自分のツイートを大量に削除、そのあと、フォローも、ニュースなどの公式アカウントを除いては、全部アンフォローしてしまった。

 

というのは、使っていなくても、そこにいろんな問題が発生するらしいのであることを、夢が告げたからである。ただ、具体的に何をすればよいのかは自分で考えなくてはならない。

 

大鉈をふるったあとで、大丈夫かな、となんとなく心配になった。埃をはたくつもりで、別の弊害が出たことは、これまでも結構あるからである。捨ててはいけないものを捨ててしまったり…。

 

この弊害というのが、気づかなかったが、実は今朝の夢で知らされていて、やってしまってから、ひょっとしてあれでは、と気がついたのであった。(夢は私の失敗を織り込み済みということか)

 

エドワード7世とジョージ5世が、孫のエドワード8世、ジョージ6世と甲板にいる写真で、大人二人は軍装という写真が私のリツイートのなかにあって、それも削除してしまったのであるが、今朝見た夢で、セーラー服の男児と軍帽の大人というのがあったのであった。

 

瞑想して尋ねてみると、私が相互フォローしている女性でロイヤル好きのアカウントのアイコンの模様が見えた。

 

そうして思い出すと、今日の夢、ずっと明け方になってからのものでは、ロングスカートの女性(白目を剥いた)が、子供の手を引き、もう一方の手には赤ん坊を抱いているというものがあったことを思い出した。

 

エネルギーはたとえば、私の向こうにあるものもネット上などでは感じることができるらしい。それはこれまでも何度も体験したので、SNSはやめたのであった。

 

どうも、その女性は私の向こうにいる、おともだちにエネルギー的に惹かれて(何も書いたりしたことはないのに)、その延長線上に子供を持つということさえ、無意識に思っていることが、私に夢で知らされたのであろう。

 

そして、私が単なるデータとして消してしまった、二人の子供の写真、それが、私が捨てたと同時に、彼女のほうへエネルギー界では流れていってしまったのかもしれない。

 

それに気づいて、慌てて復活しようとしたが、削除したツイートはツイログを使っても200ぐらいしか見れないらしい。

 

まさかこんなことがあろうとは、と思ったが、前日の卵の夢がこれでつながった。

 

復元は無理なので、TW上でエドワード7世で検索して、記憶にある写真を探し出し、

新たにリツイートして(もともとも、リツイートだったので)、自分のアカウントに置いておき、さらに、その女性をブロックしたのであった。

 

これが今私ができる精一杯のことであった。

 

子供の問題は、夢でもたびたび出てくることがある。それは私の側の心理的な問題なのかもしれないし、ほぼ10年前、おともだちと再会したときに、どうして妊娠しなかったのだろう、という思いは今もときどきあったりする。

 

おともだちは、帰国してから、そのことを電話で尋ねてきて、ダメだったと私が答えたら、「年だから…」と結構シビアなことを言ったりしたが、真相はわからない。

 

札幌にいるころだったか、母が鉄兜みたいになっていて、それが灯台のように回りながらサーチライトを出す。その先に、狭い2段ベッドにおともだちと私がぎゅうぎゅう詰めになっている姿がある。そうして、何かツリーみたいなものに、修道女の人形がぶらさがっているという、不気味な夢を見た。

 

あの旅行に行くときに、母が冗談っぽく、喧嘩しないか遠眼鏡で見ているから、と言ったのは、実は監視だったのか、と。それに縛られた(狭いベッド)ことが不首尾のあるいは理由だったのかもしれない。

 

私がもはや妊娠可能な年齢ではないということや、実際にコンタクトがなくてもそれを望んでいるエネルギー界のひとたちがいるとしたら、私はなすすべがない。

 

ただひとつの望みは、おともだちは男性として当然ながらそれを望む気持ちがあるとしても(だから日本の、いわば茫漠に向かって電話するのだと思う)、それを捨てて、私を選んでくれること、それに尽きる。それは強要できることではないのだが、私は、おともだちと幸せになりたいし、多分、いろんな苦労を経て、私も大分変わって、おともだちを幸福にすることが前よりできるかな、と思っている。

 

ちなみに、夢ではときどき、「白目を剥いた」j表情が出てくるのだが、これは、ブラックな内面とか、あまりよくないときに使われているようだ。

 

 

 

 

 

 

今朝がた、見た夢は電話がかかる夢だった。

 

時々母から電話があるが、それはもう私にとっては恐怖と緊張で、「どう、会わない?」とか言われるのをなんとか避けようと、いつも電話がなると手に汗をじっとりとかく。

 

夢の電話は当然母だと思って身構えた。それで半睡状態で、いろんな言い訳を考えた。焦りながら、今大事なことをいろいろ考えて、思考実験みたいなことをしていて、孤独と集中が重要だから、今はちょっと無理、みたいなことを、ぶつぶつ夢のなかで、断りの言葉として言った。(実は何も仕事はしていないのだが、会うのを避けるために最近は、書いたものをまとめているとか言っている)

 

その直後、携帯メールが鳴って、人身事故の知らせだった。こういったものは、私の最近の現実と連動するので、「ああ、怒らせてしまったな。この言い訳ではきかなかったのだな」と思った。

 

そのあと、噴火する火山などのイメージがあらわれ、ますます戦々恐々とした。その後は、怒らせたあとのできごとの予見なのだろうか、ヤマアラシが出てきたり、浴室に灰色のタオルみたいなものが落ちていたり…。

 

怒らせて、結局そのあとは、私が医者かなにかに抱えられてベッドに横たえられて、

事故か病気か、そんなことになっているのだが、母を怒らせたにしては、瀕死状態なのもなんだかつじつまがあわない。口に黒いマスクがかけられている。

 

そうして、玄関においてある、おともだちのスリッパが片方づつ消えていく。

 

馬鹿な私は、あまりにも、母の電話要注意とばかり思っていたのだが、このつじつまのあわなさは、ひょっとして、これはおともだちからの電話の予兆夢だったのかもしれない、と、今夕方6時になってようやく気がつき出した。

 

夢のなかでは、携帯電話か固定電話かなどはわからないから、電話というだけで、縮み上がってしまったのだった。

 

どうしよう。実際にまだ起こったことではないが、それも同然である。夢のなかでさんざん断っているわけだから。きっとおともだちはリアルに感じただろうと思う。

 

これらの夢は昨晩の夜中前だったのだが、そういえば、明け方になって見た夢は、おともだちや、いろんな人とどこか田舎の町へ来ているらしく、おともだちは、自分の白いシャツを示して、この染み抜きは自分でやったんだ、と説明するというものである。

 

夢のなかで、その染みは、かすかな跡になって残っているだけで、ほとんどそれとわからない。

 

そのときは、なんのことだろう…と思っていたけれど、それは多分私の断わりに怒ったおともだちが、私を過去の染みとして、消してしまったのだろう…と、今、夕方になってようやくその意味がわかった。

 

勘違いといっても言い訳にしかならないけれど、本当に勘違いだったんです。人身事故もよく母の電話と連動していたこともあるし…。

 

もちろん、おともだちからの電話だとわかれば、すぐ駆けつけるわ。ごめんなさい、ほんとうに。