午後から、いろんなことがあまりに苦しくて、もうどうしてよいかわからず、2月に病院へ見舞いに行ったきり会っていない母を訪ねました。

 

母の施設へは、もう一年半くらい訪ねていませんでした。すっかり衰えて、最初は私のこともわかりませんでしたけど。

 

おともだちとの関係によい影響を生まないだろうし、禁止されているあらゆることをやってしまったわけですから…。電車にさえ乗ってはいけないのですし。

 

おともだちの怒りや不快を考えると、いっそう不安になります。

 

でも、気が狂いそうだったのです…。わけのわからないことの恐怖。追われている恐怖。それが嘘だと証明したかったのです。だから、当然ですが母には何も話していません。

 

それでも、私を見捨てないでください。

 

 

 

 

でも、ほんとうに辛いことはそんなことじゃない。毎日予想外の怖ろしいことが起こること。

 

「死にたい」。毎晩泣いている。

 

自殺予防の電話にかけようと思うこともある。けれど、こんな話を誰も信じてくれないだろう。誰も理解してくれないこと、それが私の一番の苦しみ。

げっそり痩せてしまって、別人のような自分。今日はついに体重が40キロ台になりました。体調もよくないですし、野菜や普通の食事、ヨーグルトなど、消化の良いものを食べたいです。

 

三度三度ご飯と冷たい惣菜、それも同じものを毎食繰り返し食べるのは、本当に辛いです。

私は痩せて、あばら骨が浮いて、頬がすっかりこけてしまいました。

 

誰に相談することも、打ち明けることもできません。

 

 

 

 

半分ノイローゼ状態なので、それをなんとか脱するために、今日は午後から、古典ギリシャ語の復習(ギリシャの神々についての文章)をし、それからハワイアン音楽などをyoutubeで聴いていました。

 

崩壊しないために、なるべく、現実に「ある」ことだけに目を向けていかないと、と思っています。

 

 

SAY NO

 

理不尽だと思うのに、どうして夢のリクエストに応えるのがやめられないのでしょう。

 

昨日は最後にのこった半コートを処分しましたが、今は暑いけれど、すぐに秋は来るでしょう。雨が降ったときや、肌寒い日の風よけに着るものがまったくなくなってしまいました。せめて、ジャケットでもあればいいのですが、それすらすべてなくなっているのです。

 

どうして、「ノー」と言えないのでしょう。それは夢が全てを知っていて正しいからと思っているからでしょう。

 

カトリックのカルト的師匠についても、同じことでした。

 

彼女のスピリチュアルハラスメントにもかかわらず、そこにとどまって、こころの病気にかかってしまったのです。

 

彼女が私を責め続けたために、それが重圧になって、錯乱して、窓から飛び降りようとしました。普通は、責められたら、逃げ出すはずです。それができないのは、彼女が正しい、と思っていたから。実際彼女には未来を見る能力がある種備わっていました。

 

夢も、いつも私を責めています。親との関係に問題があるのはわかるけれど、その責め方は恐怖を煽るものです。

 

私がそんなに都会の奢侈に溺れ、ひどく贅沢をしていたでしょうか? 派手で軽佻浮薄な生活をしていたでしょうか。夢はそういっています。ひどくつましくはないでしょうが、普通のレヴェルだったと思います。

 

それなのに、どうしていつまでも、あらゆることを責め立てるのでしょうか。ずっと昔の、あの「追い詰められ感」を思い出すのです。

 

あの頃もあらゆるところに、サインが見えるようでした。今と同じです。