今日は少しお日様が戻って、外はカンカン照りの梅雨らしからぬお天気。今日みたいな気候でも、家のなかは結構涼しく、快適である。それもとても有難い。

 

ラヴェンダーもシクラメンも極力水やりを控えているのだけど、そのほうが、どちらかというと、調子がよいみたいだったりする。まだ回復はしていないのだけど、悪くはなっていないような。

 

もともと乾燥地帯のものだし、それに、環境が過酷だとかえって生命力が発揮されるというようなところもあるのかもしれない。

 

同じように、私もとても痩せたけれども、体調自体は今はそんなに悪くはない感じである。ちょっと前は、痩せすぎた、どうしようと頭で考えて、不安になっていたようだった。冷静に見てみると、どこかに支障が出ているわけではない。

 

生活も、たとえば被災しているひとから見れば、平穏な暮らしである。

 

結局、取り越し苦労が多すぎるのだなあというのが結論かもしれない。

 

このところ、涼しいというより寒いぐらいの日が続いていて、からっと晴れることがあまりない。

 

もっと晴れて湿度が下がってからと思っていたけれど、コートかけにまだ出ていたダウンコートや冬の帽子などを片付けて、玄関まわりがかなりすっきりした。今年は早く暑くなったが、その分寒さの戻りもあって、そのままになっていたのだった。

 

ソファにカバーをかけ直したり、夏の帽子を出してみたり、と。

 

買い物は食料品ぐらいだけで原則しないので、あるもので代用させたり、転用するのが結構うまくなったと自分では思っている。

 

何か必要があると「買いに行かなければ」というのでなく、物置やクローゼットをガサゴソ探して、工夫してみるようになった。「これがないと本当に困る」というものは結構少ないものなのだな、とも思う。

 

出来合いのものを買うのでなく、工夫するほうが楽しいということも発見した。

 

 

 

 

クモ

夕方、少し明るみの残っている玄関先とリヴィングとの境にある引き戸の前に、何か茶色い小さなものが落ちている。

 

ゴミかしらと思って見てみると、なんだかごく小さい虫のようである。手足が長いけれど、あまりに小さいので、ただの毛束みたいに見えている。

 

そういえば、ずっと前に浴室で忙しく蜘蛛の巣を張っていた小さなクモ、あのときは

動かなくなったので死んだと思っていたけれど、その後その場所から見えなくなって、あるとき、玄関の少しへこんだ場所にやはり小さな巣を張っているのを見つけたのだった。

 

ああ、あの時のクモではないかしら、と思って、そっと、そのあたりをいじらないようにしていたのだけど…。

 

そのクモがおそらく死んだのだろう。それでも、リヴィングの入り口までやってきて

死んでいるのに、何か愛しさを感じた。最後の挨拶だったのだろうか。

 

いつも忙しく蜘蛛の巣を張っていたクモよ、ご苦労さま。

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昨晩の中近東風のメロディーは日がな一日鳴っています。

 

今日は久々に明るく晴れていたので、1週間ぶりに、ほんの少しだけシクラメンに水やりをしました。カラカラの砂漠みたいになっていたので。

 

半分ぐらい葉っぱは残っています。球根に触れないように、鉢の内周りにちょっとだけ水やり。

 

ラヴェンダーも新しい花芽はないのですけど、焼けたような葉と元気な葉がまじっています。

 

元気になってちょうだいと祈るような気持ちです。

 

 

 

 

 

 

ごく稀に、イヤーワームで、短調のメロディーが流れるのだけれど、眠りから少し醒めて気づくと、それが鳴っている。

 

中近東風のちょっと哀愁を帯びたメロディー。

 

こういう時は少し起きていたほうがいいのかもしれない、と、起き出した。まだ9時過ぎなので宵の口なのだけど。

白いノート

2008年におともだちから電話でいろいろ聞いたことをメモした、白いノートがあります。

 

最後のほうには、札幌での会話のメモも少しだけあったりしますが、だいたいは2008年のもの。

 

読み返していますが、だいたい記憶に残っているとはいうものの、はっとする内容も

あちこちにあります。

 

セオリアのこと、living saintsのことなど。

 

そうした隠れた聖人にはずっと関心がありました…。今も…。私の知る範囲の教会の人々にはそういうものはありませんでしたから。

 

体験した話なので、どれもこころに響くもの。10年前の私はいろんなことに目が眩んでいたのかもしれず、我を張っておともだちとたびたびbreak upして、人生や信仰の真実に関わる、深いものをもっと学ぶ機会を自ら潰してしまっていたのだなあ、と思います。

 

2008年の帰国時には、「いろんなことを教えるから」と言っていたおともだち。

 

なにか、自分が特別に選ばれた存在のような、傲慢さに陥っていたのかもしれません。

 

しかし、今は正教会自体には絶対に行けません。行く必要もないでしょうが…。おともだちから聞いたことを文字通りembraceしていれば。

 

ノートを開くと、いろんな思い出が甦って胸が熱くなります。セオリアのところに、その体験は一生離れることなく、これがあれば死んでもいいと思わせるようなものとのこと…。

 

 

おともだちがこのなかで言っていた、自分自身を強く持つ、ということを肝に銘じたいと思います。

 

 

 

冷静

今日は一日ぐずついた雨もようのようです。けれども、家のなかにいるぶんには、なんとなく落ち着きます。

 

昨日今日とほんとうに寒く、買い物にはしっかりしたパーカーを着て出かけたのですが、それでも寒いぐらいでした。

 

おともだちには、昨日、体調が悪かったこともあり、このブログで不安定な気持ちを生でぶつけてしまうようなかたちになってしまい、ほんとうに申し訳ありませんでした。

 

書いたものは話し言葉とは違うし、対面で話しているように様子もわからないので、あのように書くべきではなかったと思っています。

 

 私は小心者というか、すぐパニックになってしまうところがあって、その上、心配性でもあるので、障害やトラブルが私の行動範囲で起こっていること自体は事実ですが、「押し寄せ」感として負担に思いすぎるところもあるのです。

 

もう少し冷静になって、ここに書くときは、一拍置いて、をこころがけたいと思います。

 

シクラメンの葉の黄変も「枯れたらどうしよう」とばかり焦っていたのですが、だいたい5、6月には花が終わって葉も落ち、夏越しするのが普通らしいので、水やりを極力減らして夏越しをさせていこうと思っています。

 

ラヴェンダーは少なめの水で様子を見ています。どちらも早く元気になってほしいです。

 

 

 

 

 

 

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