本当にどうしようもない奇妙な現象に、もちろんもう何年もだけど、悩まされているけれども、さらにどうしようもないぐらいなおかしなことばかりが起こる。

 

音楽のメロディーが不協和音的音階になって聞こえるのも慣れてはいるけれど、脳の問題のようで、覚えている曲、メロディーであれば、自動的に補正しているらしく、ほぼ普通に聞こえる(ちょっと不安定だが)。

 

楽家に時々見られる症状では、全体に半音下がったりするらしいのだが、私のはもっとカオス的で気持ち悪い。

 

しかし、このように書いてきたが、音楽のことを書くのは本当は禁句。好ましくない人間を呼び寄せてしまうらしい。

 

「夢」というか、これらある霊界の存在たちは(何かわからないので)、いろいろなことをするとか、いろんな人と知り合いになる(特別親しくしなくても)、さらに、タテとヨコ混ぜること、とにかく混ぜることを嫌っている。

 

本当に驚いて恐怖だったのは、私が着ていたもの、白いブラウスに黒いものを羽織っていただけなのだが、その写真は、プリント模様のパッチワークになって映っていたケース。

 

そういう感じの衣類を最近買ったのだが、もちろん禁止事項だったわけで、きっと罰として、

写真を改変したのだろうと思う。(こう書いているときに、「ローマ字ヒンコン、ローマ字ヒンコン」と彼らが歌っているので、こういった外国風な意匠を嫌っているのだろう。「貧困」と彼らが言うのは、多分「嗜好、愛好」ということ)。

 

私のありとあらゆる行為について、「なんとかヒンコン」「なんとかヒンコン」と歌うのである。指弾ということだろう。

 

こういった、わけのわからない言葉を、もし私の妄想でないとすれば、そもそもの始まりから、分かろうとしなければよかったのだ。悪魔のほうを見てはいけばい、ということのように(悪魔と言っているわけではないが、もののたとえとして)

 

 

 

 

 

 

 

 

運命的なとかいった、言い方は好きではなのだけど、そういったものに追い詰められている感じがひどくて、超自然的なものをできるだけ頭の中から捨象して行動していかないと、身動きがとれなくなってしまう。

 

数年前、これが始まったころは、「危険」を避けるために、食料品の日々の買い出しさえも、

控えたりしたのだが、さすがに今はそういうことはないけれど、だからといって、宅配も「禁止」(好ましくない)状態なので、最低限しか使わない。

 

ふと、昨日、「やはりこれは病気ではないか」と思い、ネットでいろいろ検索していたのだが、いわゆる幻聴があっても、それが生活に差し支えていなければ病気とは診断されないようだし、また、そういった「声」に反応することがよけいよくない、とあった。

 

そういえば、夢はビジュアルな印象として残ったりするのだけど、睡眠中に半睡状態で「言われる」ことに対して、反論したり、弁明していることがよくある。そうして「言われること」自身も、よくよく考えると自分の中から出てきたものであるような感じもあったりする。

 

幻聴というのは、だいたいが「悪口」なのだそうだ。だからこそ、生活に支障が出るわけだろうが。褒めてくれる幻聴などというものは聞いたことがないから、それは結局、自分の中から出てくる、罪意識とか、「気にしていること」なのだろう。

 

とはいえ、私の場合は、以前書いたように、行ったことがないところのレシートが落ちていたり、ピアノみたいな木のかけら(綺麗にニスを塗ったローズウッドみたいな)ものが落ちていたり、といったことがあるから、私を取り巻く一連の「困った環境」は自分の意識が作り出したものと、超常現象のあわさったものではないかというのが結論である。

 

奇妙なことはたくさんある。足を見せてはいけないので、スカートをはくことはまずない。足を組んでもいけない。足を組むと、ぱっと車椅子のイメージをフラッシュカードのように見せられてすっかり怖くなったことが当初あった。

 

何か「違反」をすると、必ずといっていいほど、車椅子の人が向こうからやってきたり、電車に乗り込んできたりする。もう当初はノイローゼ状態だったが、今は生きていくのにせいいっぱいで、やり過ごすしかない。ちなみに、家の近所にはそういったdisabledの人たちのセンターがあるので、常識的に考えれば遭遇することだってある、と、当初は遭遇するたびに、考えようとした。盲人しかり。これもセンターと関係するかもしれないが、遠隔地でも、何かあったりすると、白杖の人が出てくる。

 

まあでも、このあいだは、初めてだったのだが、確かに同じ車両に乗り込んだはずの、車椅子の人が、私の降りる、次の駅で姿が見えなくなったので、これは「幻視」だったのかな…とか。

 

本当にこの生活は大変で、恐怖映画の主人公になったようなものである。そうして、カタストロフというか、「彼ら」が「不幸な人生、不幸な人生」と私のことを歌うわけだけど、そうならないように、親族やら何やらを避ける行動を取ろうと日々、忌避に忌避を重ね、別に逃げ回っているわけではないのだが、「運命」の網の目を潜り抜けようと膨大な努力を払っている。

 

そうそう、そういえば、幻聴は社会的に孤立した人に起こりやすいのだそうだ。病気でなくても、睡眠不足とか極端な疲労とかも原因になりうる。また、それと関係するのだろうが、孤独なひとが補償的にそういう人格を作り出して話をする、そんな場合もあるらしい。私も、いわゆるフルタイムの仕事をしなくなって、さらに孤立を深めるようないろいろな条件が重なって、これがあらわれたのかもしれない。

 

こういった科学的な説明を知る前は、前世の罪障記憶のかけらとか、もっとスイパーナチュラルなことを考えていたのだけど。

 

 

 

 

 

 

相変わらず困ること、奇妙なことは多いが、いろいろな「思い」や「行動」が実人生に「くっつかない」ように、間を縫うように、いわばアクロバット的に暮している、というか、そうするしかないので。

 

一番辛いのは「孤独」。人とあまり交わらない生活をしているという意味ではそうだけど、それより、こうした奇妙な現象は話せないし、理解されないだろうという意味での孤独である。

 

それにしても、「夢」は私を去ったのだろうか。ここ2、3日はまた立て続けに苦しい夢を夜見ているが、以前のような「語りかけ」はない。

 

20年の秋ぐらいまでは本当に激しい夢で、私の妄想かもしれないけれど、家の中でも追われるようにして隠れて眠っていた。「死の国」の夢をたびたび見た。そこで吠えるコヨーテのような声。

 

さらにそれ以前は、不思議な「地下都市」をあちらこちら彷徨う私がいて、そこには付随的に不思議な映像がよく出てきていた。大きな時計やおもちゃ、縫いぐるみの動物など。

 

そう、シュールレアリスムの絵みたいな。

 

最近も、地下都市がちらっと見えた瞬間があって、そういう時は起きるか、見ないようにしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は統合失調症、つまりスキゾフレニアではないのだけど、自分の思考が漏れている感じがある。こういう病気のひとはそういうことを言うらしいが。

 

「こういうふうにしようかな…」と思っていると、何も言っていなのに、周囲からそれに見合った対応を受けるという不思議なことがよくある。以心伝心という暖かなものとは違う。

 

いにしえの、大西洋にあった大陸では思考が現実化していたと言われているが、現代ではオカルト世界にしか起こらないことが、私に関しては起きているので、本当に困っている。

 

そんなこんなで昨晩はほとんど眠れなかった。また眠ること自体も、ショッキングな警告夢を見るので怖いということもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

前から時々、何をした記憶も痛みもないのに、足や手に切り傷ができていたり。眠っているうちに掻いたのかもしれないけど、かゆみの記憶もない。

 

「夢」は私の虚栄心みたいなものを嫌っていて、洋服を買うことも許されていないが、持ち物があまりないし、必要なもの、時には好みのものがほしいこともある。そういうときに、デパートの売り場で洋服の展示台にマネキンがバラバラに解体されて、置いてあったりする。

 

別に展示替えとかの時でもないのに。

 

このあいだもそんなことがあった。展示台の上にマネキンの手が二本並べてあって、ぎょっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の、早めの八重桜が終わって、4、5日するともう原っぱにはヒメジョオンアカツメクサが伸び出して、さらにスベリヒユだろうか、丈の高めの雑草がちらほら見えるようになった。

 

このところお天気はとても変化が大きく、木曜日は大雨と言われたけれども警戒していたらそれほどでもなく、でも、土曜日(一昨日)の夜は、稲妻がたびたび走って、怖い思いをした。

 

たとえば、こういう風に書いていても、言葉が降りてくる、そしてそれはだいたいブレーキのような、よくない未来を暗示するものなので、そこではたと考えてしまうが、それをやったいら、身動きがとれなくなってしまう。

 

あるときから、「この色はダメ」「あの色はダメ」などというのがほとんど全色にひろがったころから、これはやっぱりおかしいんではないか、これでは何も着ることができない、と思ったあたりから、私の離反(彼らから言わせればだが)が始まったのかもしれない。

 

こうタイプしているだけで、「後悔するする」「転職するする」という彼らの歌声が聞こえてくる。なぜ「するする」と言うかといえば、彼らは4分の3拍子の単純な四部形式の歌を歌っているので、言葉と拍数があわなくなるためだと思う。ごく初期のころから、「するする」という声がたびたび聞こえたので、意味をとりかねたのだけど、単なる語数合わせにすぎない。

 

とにかく、「夢」の言っていることは一貫して、私がいろいろなことに興味を持ちすぎている、いろいろな人に(これまで?)接触(というほどのものでもないのに)しすぎるということだ。

 

それは実際の接触がなくても、PC上でニュースを見たり記事を読んだりするだけで、「接触」扱いになるらしい。「夢」はある種ショッキングな映像やこころを痛めるイメージを見せることが多いが、皮肉もとても大きな特徴で、私のことをセレブリティ記事を読むのが好きで、という意味らしい「ブロマイド」という言葉を送って(落として)きたりしたことがある。

 

そんなこんなの「いじめ」に近いことに耐えて、数年経った。これをタイプしていると、今度はワームが「百人一首に転職するする」と歌っているが、それは多分、「ああ、辛いなあ」と思って、ふと「ながらえばしのぶることも…」の歌を思い出したことと関係するのだろう。それだけで、彼らの世界は普通の世界以上に、記憶の宝庫と高い知能の合わさったものなのかもhしれない。

 

私が生きていくためには、彼らの世界と何とか折り合いをつけながら、自分でかけているマインドコントロールの部分をより分けて、そこを解いていくことなのだろうと思う。というのは、いきなり全否定するのはいかにもまずく、誰に話しても理解はしてもらえないが、とにかく精神病ではないけど彼らの声は聞こえるし、実際に奇妙な出来事は起こるので、より分けながら、恐怖に負けないで洗脳部分を解いていくことだと今は考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝は午前3時頃に目覚めてからなかなか寝つかれず、そういうことはよくあるのだけど、

こういうふうにタイピングしていると、ワームが「ニュウイン、ニュウイン」と歌うのである。精神を病むという意味なのだと思う。

 

実際、病んでいるのかもしれないし、そういったことはほぼ3年前の彼らの「来襲」から言っていたことだ。

 

でも、能うる限り、自分の理性で、この苛酷な異世界「ワームワールド」の中で生きつつ、自分を何とかコントロールしているという点では、まだ「理性」の曇りはそんなにひどくはないのかもしれない。

 

いろんな、「しるし」や「夢」というのも、最初に遭遇したものを私が積み重ねっていって、覚えていることによって、自分を縛っている、あるいは自分にかけているマインドコントロールかもしれないとは思ったりするのだが。

 

「どう考えても普通ではないこのオカルト的状況…」とか頭のなかで考えると、ワームはもうその結果(らしい)を先取りして、「セイシンビョウイン、セイシンビョウイン」と歌うのである。

 

だから、日々、私はいろいろなオーメンや夢の示唆する危険をすり抜けるようにして暮らしている。だけどそれには当然ながら限度があって、何もかもというわけにはいかないのだが、本当に恐ろしいと感じるのは一例を挙げると、衣服を買ってはいけないのだが、それでも、「こんなのがいいな」と思っているだけで、電車に乗ると、そんな風な色柄、時にはまったく同じのものの人が乗ってきて、ギョッとすることがある。というより、あれこれの私の、欲求というほど強くなく、ふと思った「何か」が眼前に生じるという恐ろしさ。

 

これを何とかしたいので、解き明かそうと、いろいろ本を読んだりもしたのだけど、そうすると、そこにさらに新しい「接続」が鳥もちのようにくっついてきて収拾がつかなくなるので、控えることにしている。

 

要するに、「思いを抱く」そのこと自体が、いろいろなことを引き起こすということなのだろう。けれど、それなら、「こうなってほしい」と思っていることがどうしてかなわないのだろう。つまり、「怖れ」ということが、こうしたことの原因なのだろうか。

 

何かの「精霊」の逆鱗に触れている…そういうことかもしれない。土地と関係があるようなないような…。北国にいるころから「へんなこと」はあったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう考えても普通では