apple ID

今日はK町の銀行まで、また例のバスに乗って、午前中行ってきました。

 

来週のはじめにクレジットカードの引き落としがあるので、口座にお金を入れておくためです。これで二回くらい、督促されて振り込みをしたのですが、毎回そんなことをやっているのも信用に関わるかも…と思う気持ちがありました。

 

来週にはいずれにせよ、ドルを両替して6月分の家賃の支払いをしなければならないので、その時でもいいかと思ったのですが、それまでにカードの督促状がくるかもはっきりしないので(請求番号を打ち込まなければならないのです)、やはり今日行くことにしたわけです。

 

それでも、もう手持ちのお金が尽きかけているので、できるだけ引伸ばすべきだという気持ちもあって葛藤していたのですが、他の光熱費などは引伸ばすとしても、カードだけはきちんと期日に払っておこうと思いました。

 

帰宅してPCを開けると、アップルの雲のマークが出ていて、apple IDこれこれ@mac.comのパスワードを入れてサインインしてください、と書いたサインが出ていました。

 

以前もこんなことが一二度あり、ここに書いてある IDは@の前が、私の聖名と名前を組み合わせたもので、今は使ってないものです。今のapple IDはメールアドレスですし、パスワードもちょっと変えてあります。

 

いずれにせよ、これが出てくるときはあまりいい印ではないので、ぎょっとしました。

 

「ああ、やっぱり行ってはいけなかったのだなあ…」とため息が出ましたが、今日の入金を急いだのも、過日、家賃の督促を見送った苦い体験がトラウマになって、反作用してしまった向きがありました。

 

しかし、やってしまったことは仕方ありません。もし重大な影響があることなのなら、自分の口座なので、明日か週末にでも引き出しておけばいいのでしょうが、きっとそういうことでもないのでしょう。無駄な行為をすることになり、却ってダメかもしれません。

 

これまでなぜこの古いIDが時々パスワードを要求してくるサインが出るのかわかりませんでしたが、今気づいたのは、ロシア風の名前と自分の名前を合体させているわけですから、たとえば翁関係に関わるようなものとか、ロシア関係とか、私の古いアイデンティティに回帰するという意味なのかもしれません。

 

書籍や露皇帝関係は今の生活や意識からは極力排除しているものなのですが、支払いのことで神経質になって無駄な行動をし、残り少ない現金をキープしておかなければならないところを、常識の虜となって、誤ってしまった、ということなのかもしれません。

 

だいたい、毎日がそんな風で、何をやらなければならないか、何をやってはいけないか、というのが、普通の基準と異なるので、よくわからないことが多いのです。

 

筆を折って、ロシアとも決別しているのに、支払い準備をしたくらいのことが、また寝た子を起こすことになるのかも…と思うと、いささか憂鬱です。

 

いずれにせよ、今月半ばくらいには、手元にはお金がまったくなくなってしまうので、

4、5千円といえども、簡単に払ってはいけなかったのでしょう。

 

 

間違い・勘違い

昨日、白貂のことを書きましたが、よく考えてみると、今の私にこの白貂の含意を重ね合わせるのは無理があるというか、むしろ自分の意図するところと反対の意味になってしまうと、今になって気付きました。

 

身を汚すよりは猟師に捕らわれるほうをむしろ選ぶというのでは、私は親族の追っ手の手中にむざむざ落ちることを選ぶことになってしまいます。

 

それだけは絶対に避けたい、また、避けるつもりですから、白貂の例えは適切ではありませんでした。

 

もちろん、自分のなかで信念、純粋さみたいなものを守り抜く、そのためには手段を選ばないという意味でなら、当てはまりますけれども、「追う」「追われる」例えとしては間違いでした。

 

本当は追っ手から逃げ出したいところなのですが、夢の語るところでは、ただ逃げた場合は、今の処分品を運んでいるパイプのようなもの?が閉じられてしまい、処分をすることができなくなるのだそうです。

 

処分は、母や親族の軛を断ち切るための(唯一の)手段なので、そうなれば、「軛を切断する」ことはかなわなくなってしまう、ということなのでしょう。

 

つまり、指示されているように、今やるべきことをやる、そこから逃げてはいけないということのようです。生き延びる道はそこにしかない、というか…。

 

 

Ermine

家のなかに、熱風が吹いています。今日はひときわ湿度が高いようです。

 

今日で7月も終わり。蹂躙されずここに住み続けていられるか否かの「分水嶺」の8日まで、あますところ、1週間ぐらいとなりました。

 

不安な日々ですが、もうなるようにしかならない、と、思うようになりました。

 

小さなイコンで挟まれるようにして飾ってある、レオナルドの「白貂を抱いた貴婦人」の絵葉書があります。

 

朝な夕なに眺めている、私の「こころの友」と言っていい絵。他の何とも比較はできません。それほど私にとっては特別なもの。

 

 

今日、この絵のことを書いているのは、今の私は「運命の分岐点」みたいなところにおり、今日も感じましたが、いろんな意味で、ひとつ間違えると死に至るといった、危ういところにいるようです。

 

怖れは間歇的に襲ってきますが、しかし、この絵をみると勇気づけられるのです。

 蹂躙されるくらいだったら死ぬ、そう思うと、こころが軽くなるのです。

 

レオナルドは「手稿」のなかで、白貂のことを「身を汚すよりは、死を欲する」「泥まみれの穴に逃げ込むより、猟師に捉えられるにまかす。その身を汚さないために」と書いているといいます。

 

2002年の春浅いころ、横浜の美術館でこれを見たときに、もちろん強く惹かれはしましたが、自分の運命といったものとの重なりを予想だにしなかったのは、皮肉なことといえば皮肉なことかもしれません。

 

もちろん、死に追い込まれることがないのが、一番ですけど…。

 

毎日怖れと対峙して暮らすのは、ほんとうに人間を蝕むところがあります。

 

 

カエルとセミ

今日は台風の過ぎたあとの、蒸し蒸しした陽気。暑さも湿度も半端ではありません。

 

2008年に買った小さいカエルの置物と、おともだちからいただいた翡翠の蝉、いずれも和室のデスクの上に置いてあったのですが、今は和室は半分物置になってしまっているので、リヴィング(今は寝室兼)のがラステーブルの上に持ってきました。

 

胡蝶蘭が置いてあるテーブルです。

 

カエルの置物は「おともだち帰る」に掛けて買ったものですが、カエルも蝉も、そういえば二度の引越しを経て、もう十年も苦楽をともにしてきたのだなあ、と感慨深いものがあります。

 

仲間みたいなものですから、いつもいる部屋に置いておけば、寂しくなくなるだろう、と。

 

ヴェランダから見えるケヤキの大樹でよく蝉が鳴きますが、蝉はなんとなくおともだちの「化身」のような気がして、うるさく鳴いていると、かえってこころがなごみます。

 

昨年、一昨年もだったか、時々蝉が夜に玄関のほうへ来て、ジージー暴れ回ったことがありました。ドアに体当たりしたり。昨年はヴェランダで暴れる蝉もいましたが、私には何か怒っている?おともだちのようにも思えたりしました。

 

 

普通

台風一過の関東地方。蒸し蒸しした風が吹いています。

 

今朝、ラヴェンダーの様子を見に、ヴェランダに出たら、階下からベーコンと卵を焼く匂いが漂ってきました。

 

「ああ、人間の暮らしの匂いって、こうだったのだなあ…」と、ゴミに埋もれて、プラ容器からお惣菜を8カ月食べ続けた私は、思わず独語しました。

 

「ああ、疲れた。本当に疲れた…」

 

禁句にしていた「疲れる」という言葉ですが、最近は朝起きても既に疲れていて、低栄養のせいなのか、夢が多くて睡眠不足なのか、腫れた手足が示すように腎機能が落ちているのか、わかりませんが、起きて何かするにも、意志力を振りしぼって一大決心でやらないと動けません。

 

あまりにも疲れるので、水でアイスコーヒーをつくってみて、冷蔵庫にある古いミックスナッツや干しぶどうを食べました。どちらも賞味期限切れのものですが、そんなことは構っていられません。

 

レーズンのほうは一昨年くらいに買ったものですが、アメリカ産のものを茨城で製品化したものであることを買ってから気づいて、茨城のものなんて食べられない、と思って、そのままになっていたものでした。

 

今買っている、スーパーのお惣菜も工場は茨城で、あれだけ放射能汚染地にうるさくて、東北、北関東のものを避けていた私が、毎日茨城産のものを食べている、現実の皮肉に苦笑せざるをえません。

 

思えば、東日本大震災のあと、汚染地を避けて、少なからぬひとびとが、西日本へ移住しました。福島の強制避難区域のひとびとだけでない、いわゆる自主避難のひとびとも多かったわけです。札幌とかも、家のお向かいさんとか(広島から)いなくはないようでしたが、数はまったく比較になりません。

 

ところがどうでしょう。その後、西日本では熊本の地震だけでなく、大雨や洪水、土砂崩れにたびたび襲われ、決して安住の地とは言えないようです。それどころか、却って危険な地域になっています。台風や降雨が従来のパターンとは異なってきているためです。

 

 

今現在の私の問題は、お惣菜もほとんどすべてが禁忌になってしまって、何を食べたらよいのか、です。2日ほど巻物のお寿司を食べましたが、結局「出来合い」のものはそうそう長くは食べ続けられないと思いました。いくらお寿司が好きといっても…。

 

普通の「家のごはん」、別にご馳走はいりません。海苔と卵とキュウリの何かで構わないから、シンプルで味つけの濃くない、普通のものを食べたいなと、こころから思います。

 

 

 

 

昨日、処分品の投棄から帰宅して、疲れて眠っていたら、夢を見ました。

 

ここの駅前に、西洋風の街灯があるのですが、夢のなかでは街灯だけがポツンとあって、周りにはひとっこひとりいません。紙ゴミみたいなものが風に舞っている。

 

このあいだの、空港ヴァージョンと似ていますが、ここの駅なので、たぶん、おともだちは日本へやってくるかもしれませんが、ここへは来ない、「待ち人来らず」という意味のような気がして、ひどくショックを受けました。

 

昨日は何度もムクドリの大群が庭や私の目の前にやってきました。さきほども…。

これは死を齎すものです。

 

後見団体から連絡があり、母の病気もひどくなっており、預貯金の引き出しもいずれ必要ですが、封鎖されているのでどうすればよいのか…。

 

母より私の死のほうが近いのかと思ったり。

 

あまりに絶望的な四面楚歌なので、最近はよく死ぬことを考えます。

 

なんの希望もないうえに、虜囚の未来だけが待っていて、「現在」は辛いだけの不自由な生活…。

 

 

胡蝶蘭もさらに枯れ始め、ラヴェンダーも蕾がついただけでとどまって。

 

「終わり」が近いのかもしれません。

 

私の死を悼むひとはいないでしょうし。いろんなものを処分しておかなくては、と。