3月ぐらいの日記を読んでいたら、こんな夢の記述があった;

「悪いところを削っていたら、食べるところがなくなってしまう」という言葉を夢のなかで聞く。

 

そのときもそれなりに納得していたけれど、これまでの自分の我の強さ、我儘といったものを強く感じ、申し訳なく思った。

 

自分では決してそのつもりではなかったけれど、差し出されたものにずっと「違う」と言ってきたのではないか。

 

時計の針は戻せないけれど、去年の夏に差し出されたものの尊さを今更のように思った。

 

心から、ごめんなさい。

 

お彼岸も過ぎたのに暑い日。普段使わない時計だが、電池がきれていたので、交換に

隣の駅の時計屋さんに行く。

 

誰とも話すことがない引きこもり生活なので、唯一電話で話すのが母なのだが、今日も気分がすぐれず、ちょっとだけ話した。

 

振り返ると、母と電話している最中に、近所、あるいは沿線で人身事故が起こることがある。

 

偶然といえばそうなのだが…。

 

古い着物を脱ぎ捨てられない、しがらみのようなものか。それが「死」につながる、

象徴的、あるいは現実的に…。

 

このまま行ったら最も自分が嫌悪する状況に追い込まれてしまうということなのだろうか。今日ももいろいろ奇怪なことがあった。PCがおかしなサインを出したり…。

通信会社からのセールス自動電話なのだが、最初が無言で始まるおかしな電話だったり。

 

なにか是正すべきことがある、のだと感じる。

 

 

 

 

 

 

今日は暑いけれど、風は涼しい。

 

引きこもっていても心身ともによくないので、前の前に住んでいた界隈へちょっと行ってみた。

 

といっても、駅前あたりだけ。本当は、江戸期の冠木門がある古い邸宅のわきのだらだら坂を下りて、10分ぐらい歩かなければならなかったのだが、なんだか工事なのか、殺虫剤の匂いなのかわからないが、強烈な埃っぽい匂いがしてきたので、退散した。

 

残念。

 

今住んでいるあたりよりは都心なので空気がよくないのだろうか…。

 

まあ、それでも、少しは遠出になったので、よかったか。電車に長く乗るのも久々。

 

 

へんなひとが読みにくるが、ブロックすればおともだちも読めなくなってしまうので、

仕方がない。

 

声を聞くこともなくなって久しいけれど、だいじなひとであることは変わりない。

どうしているだろう。にゃんこ、わんこたちも。

 

金木犀が強く香り出した。秋本番の甘い香り。

 

秋口になって、咳がよく出る。

猫が原の辛夷の木の葉が黄色くなり始めて、かさかさ音を立てて舞い落ちている。

 

このあいだまでの夏はもう来年の空間へ移動してしまったのだろう。夏らしい日が少なかった奇妙な夏だった。

 

眠れない夜が明けて、たくさんの夢を見て、それをまた詳細に書き記し…。

 

おともだちが私とコンタクトをとらないのは、母のことだけでなく、私が贅沢好きのように思っているからではないかと、なんとなくだが推測する。それならそれではっきり言ってくれればよいのに…。

 

ヴェレダとかニールズヤードといった海外の製品を一部使っていたり、お取り寄せで食品を買っていることとかだろうか。

 

そもそもが安全性を考えてのものだし、ひどく高価なものではないと思うのだが。お取り寄せのほうは、当初、放射能汚染対策からはじまったものだった…。

 

そうした品物の箱が積んであって家のドアが開かないという夢を以前見た。

 

旅行するわけでもなく、文化的催しにも行かず、最近では本すら買わず、普通のひとと比べても質素な生活ではないかと思うのだが。

 

一言で言えば、時間だけはありあまるほどあるが、余裕はない生活だ。

 

あと、仕事に未練があるのも嫌なのだろうなあ、とか。

 

でも、そうしたものをすべて取り去ったら、それは私とは言えないと思うし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日も今日も、いろんな記事を書いたけれど、読まれない。

 

以前もそんな風なことがあったけれど。

 

それが積もり積もっていくと、なにがしかの恨みがましいきもちが生まれてくる。

 

抑えようとしても、それは感情だから難しい。もちろん、おともだちの側には読む義理はない。読まない自由もあるし、ブログを訪問しない自由もある。

 

最近思うのは、もしおともだちと再会しても、根底にこうしたわだかまりがあれば、

ぎくしゃくしてしまうのは避けられないかもしれない。

 

だったら、こういう風なブログはいっそやめたほうがいいのでは…と思ったり。

 

でも、他に手段がない。

 

おともだちはおともだちで、母のこととか、いらだたしいのだろうと思う。でも、それを別にすれば、私は誰か他のひととつきあっているわけでもなく、女友達さえいない状態なのに…と思ったり。

 

十分な情報がないまま、私が唯一杖とするのは、毎夜の夢である。しかし、それさえも、曖昧だし、取り違えもないわけではない。

 

結局、今のやりかたでは続けていくことは難しい。

 

ただ、自分の「こころの折れよう」がどの程度か、耐えられるものなのかどうか、はかりかねている。

 

 

気持ちの悪いひとに見られるかもしれないと思うと本当にストレスで、なかなか書くことができない。それでもなんとか気をとりなおして。

 

今日は秋の気配のある、暑い日。まだまだ蝉が鳴いている。ツクツクホーシも時々聞こえる。

 

 かすかに香った金木犀はたぶん、本当に小さな一房ぐらいなのだろう、その後は香っていない。まだちょっと早いのだと思う。

 

サルスベリの少し青紫がかったピンクの色がとても好きで、季節が終わってがっかりしていたら、同じ敷地内の駅に近い棟の前にちょっと隠れて咲いていて、嬉しかった。

 

 

おともだちが説明してくれた夏を思い出す。あれは9月15日のことだった。