ワームが、私のこの土地での5年の生活を「みじめな生活」「みじめな人生」と呼んでいることを昨日書きましたけれど、それはわたしが思ったように、ブログだけの交流だからという理由ではなく、私が普段からインターネットであれこれ閲覧してきたことが、おともだちとの仲を疎外したのだと、彼らに厳しく指摘されて目からウロコが落ちた思いです。

 

ステディな仲になりたいのに、どうしてあれこ他所を閲覧しているの?ということです。それを言われて実際驚きました。ヘビーユーザーでもないし、普通のひと程度のネットサーフィンです。今は制限もかかっているので、見れるサイトも限定されています。

 

でも、彼らの言いたいことはそういうことではないのでしょう。本当に「ふたごころ」がないというのであれば、相手を本気にさせるはずだ、ということを。どこかに緩みがあるからだ、と。

 

 私の今の「苦しい生活」は自分が妥協を拒んできたり、速断で引越しをしたことから

きている「自業自得」であるのは、ほかならぬ自分が一番よく知っています。自分で撒いた種を自分で刈り取っているだけなのはわかっているのです。ここまで引っ張ったから、こんな風になってしまっているのです。

 

おともだちにはずっとこのことに気づかず、長い年月を棒に振ったのは私だけでもないかもしれないと思ったりすると、申し訳なさでいっぱいです。それなのに、「これだけ一生懸命なのに、苦しい生活に耐えているのにどうして…」と思っていたわけですから。

 

夢のなかでは私はよく盲人メガネで出てきますが、まさに「見えない」「見えてない」人生5年、いえ、10年を送っていたのだと思います。

 

それでも、ブログへのアクセスを続けてくれたことは本当に感謝しています。これ以上何を言ったらよいかわかりませんが、これからもここを訪問することは続けてください。ムシがよいかもしれませんが、私を「見捨て」ないでください。