これ以上、私自身にはどうすることもできない。たぶん、おともだちは、私の母がまだ生きていて、近所にいたりすることが嫌なのだと思う。また、物理的に連絡は絶っているが、母がいるかぎり、妹一家の影がそこにさしていることもあるだろう。

 

そういうものに関わりたくないから、おともだちは私との連絡を絶っているのだと思う。

 

私もいろいろ理由をつくっては母の誘いを断り(だいたいが体調不良)、今はもう母のホームを訪ねることもないし、外で会うこともめったにない。

 

でも、誰とも会わず、話さない生活のなかで、母と電話で話すのが唯一のライフライン。知り合いもまったくここにはいないし、一人で死んでいてもわからないだろう。

 

今朝、誕生日の食事でもしようと電話があったけれど、体調不良を理由に遠慮した(実際に1週間ぐらい具合が悪いのは事実だが)。誕生祝いがまたいろいろなものをひきずって呼び寄せるかもしれないことを、夢で見たからだ。

 

それは私の意識がつくりだしているものか、客観的なものかどうかはわからない。

 

でも、結局、母とつながることは、実際に会わなくても、係累とどこかでつながってしまう面があるので、避けている。

 

でも、これ以上できることはない。いつもいつも断っているのも、なかなか難しくもある。多分それを続けるだろうが、それでもあまり気分がよくないし、けれども、会っても、それはそれで気分がいいわけでもない。

 

要するに、進退極まっているというのが現状だ。

 

これまで、いろいろ手をつくしてきた。それはおともだちを「失わない」ためだったが、そういう自分の「努力」にも限界があって、そんなになんでも自分がコントロールできるわけでもない。というか、未然に起こらないように防ぐ努力ばかりを積み重ねていくうちに、世界を自分が支えているような疲れを感じ出した。

 

今は時の流れにまかせるしかないと、思っている(ような気がする)。

 

今朝はベランダに出たら、かかすかにかすかに、金木犀の香りがただよってきた。

垣根で小さな蕾が膨らんでいるのかもしれない。サルスベリはすっかり花を落とした。