三が日

三が日も過ぎて、日曜日とはいえ今日からは普段の生活が少し戻りつつある町の気配。

お正月になると、急に日本情緒復活みたいな雰囲気に国を挙げてなるのがおかしくもあるが、テレビで歌舞伎を見たり、だらだら駅伝をみたり、デパートの前で獅子舞に遭遇したりすると、のんびりした中にも初春の華やぎがあってよい。

 

ラジオでは夕方ずっと、視聴者からの俳句や川柳、短歌の募集をして、いずれも正月を読んだもので、スタジオでコメントしたりする番組があり、なかなか楽しかった。ネット経由で聴けるのもよい。全国津々浦々、いろいろな生活があって、いろいろな人生がある、そんななかでの、小さな感動が伝わってくる。野良着で参詣する初参りとか、温泉で旧年の重荷をおろした気分とかあれこれ。

 

初夢は、おそらくは仕事のことであれこれ迷っているような夢だった。とりとめがないといえばそうなのだけど、このことでは再三警告夢を見ていて、今更、現政権のエネルギー関係の仕事などするはずもないのだが、さすがに、そうした懇談会の立ち上げが近くあるというニュースを昨日ラジオで聴いて、ビックリ。

 

年賀状も一枚も来なくなったので、もう完全に切れているわけだし。まあ、お金のあるところには人が集まるものだから。しかし、結局はお金「だけ」で動くひとたちというのは、節操がないから、いざという時には信頼できないものだというのは、よくわかっている。

 

インド関係も年末で「切れた」案件。長いあいだ、自分とインドのあいだには絆があるように感じていたけれど、それもニューエイジなグループの刷り込みだったのかもしれない。もちろん、魅力は大いにあるところだが、最近のレイプ事件の多発を見ても、宗教やカースト制度の抑圧が主に下層の社会に溜ったガスのようになっていて、社会を不安定にしている。日本人が普段つきあうのは、中流以上のひとたちなので、盲点になっていると思う。

 

このあいだ、蓮の花がブレンドされたオイルを買ったのだが、ブレンドのせいなのかもしれないが、気分が悪くなるような香りで、同じくそのころ聴いた、チベット系の音楽のこともあり、自分にはこれは合わないな、と強く感じたのであった。

 

おそらく、ひとには霊統みたいものがあるのかもしれないという結論になった。