「彼ら」の攻撃で眠ることも休むこともできない日々に、突然母が亡くなりました。

 

一番恐ろしいのは、強権的であった母が亡くなってそのこと自体はよくても、妹と一緒に暴力男が人生にやってくることです。二人は1週間前にやってきて、会わずに追い返しましたけど。一日中嘲りや絶叫のなかで暮らすのも本当に辛いです。それをよこしたのが妹であるということも…。

 

こんなことをあなたに書きたくなかったのですが、私の苦境を。ああ、このワームさえいなければ…。 これも当然読まれていますけど。

今日三つ目の記事(先にひとつあります)

最初の記事の「夢のおうち」はおともだちのあの「おうち」と違う気がして削除しました。「おうち自体」は見えなかったのです。ただ、白い小さな花の咲く小径があるだけで、それも「消える」というものでしたから。

 

私はそれを儚い、おともだちとの未来と解釈したのですが、そのあとに、精神病院らしい、四角いコンクリートの中庭に、ねじくれた奇妙ないろんな木々が針金で地面にとめつけられている夢が続きました。

 

私はおともだちとの白い花の道と比較「対照」されているのだと思ったのですが、これは連続シーンで、実は「暴力男」の道だったのだと今思いました。あの「白い蝶」が偽物だったのと同じです。もしそうだったら、不用意にあんな夢を書いてごめんなさい。不愉快だったでしょう。本当にすみませんでした。

 

一昨日だったかも、子供のプレイエリアにある桜の大樹が銀色の雪のような花をいっぱいつけて、人々が集まっている夢がありました。すぐに消えたそれは「暴力男」の桜だとはすぐわかりましたが、小さな白い花はいかにも紛らわしいものです。

 

同様に、「黄色」(邪悪な色)の妹も今は「白い世界」を目指していて、旧い世界とおともだちとのあいだでいつまでも揺れている私に疲れて休んでいるところへ、白いギザギザの影、カーテンや大凧みたな覆いになって降りてきて包み込んで、慰めの言葉を耳打ちするという夢も昨日ありました。

 

おともだちの聖職者王というのも「白」と関係していて、正面は王冠をかぶった正教司祭の祭服、後ろ姿はやはり祭服で、矩形と三角を組み合わせたような、短いマンティラらしいものは「白」でした。三角は尖っているので、「刺す」とか「イーヴルネス」のようです。

 

結局、ここ(埼玉)では「今の時点」では方向が定まらず、登場人物や全体をひっくるめて全部のものが、ここの団地の御影石の礎石に吸い込まれていき、おそらくどこかへこのドラマ全体が移動するらしい、夢も昨日あたりに見ました。2020年の舞台は多分帯広です。

 

今思うと、荻窪の話もムシが言っていることなので、怪しいです。なぜ突然荻窪なのか不審に思いましたし。これも「暴力男」のことでしょうから削除しました。私の学生時代の下宿が荻窪でしたから。また不愉快な混在をしてしまい、ごめんなさい。すみませんでした。

 

今は夢のなかまでもムシが侵入しているので、分別がとても難しいのです。それに疲れ果てて友人を頼るという夢もずっと以前にありました。白い花の道は私の解釈ミスですが、ムシ製造の夢もあいだに入ってくるのです。だいたいはわかりますが、紛らわしいものもあって、あとで気づいたりします。こころを読まれるのでメモもとれません。見た夢も絵で書いたり、別の言葉で言い換えたりしていましたが、非常に苦しい作業で限界がありました。

 

いま現在、奇跡のように降ってきたこの時間を全力で利用しています。このブログはあのお祓いでおともだちしか読めないように鍵かけしてあります。こちらは大丈夫なのですが、ムシが他のブログを横から盗み見して、「暴力男」にアクセスさせて絆をつくろうと画策したので、他の三つ(月、愛の夢以外に、Le Jardin secretという旧いものも含め)お祓いで鍵かけしたら、不具合がおこり、おともだちも見れなくなるようなので、再びオープンにしました。

 

このブログは昨日ちょっとの隙に(というか隠そうとする私の不安を読むのです)タイトルを見られてしまいましたが、おともだちしか見れないので、「画策」には使えないのです。ばれてしまったので、これからは今日の記事は隠しつつPCを開けますが、アクセス画面に行くことは彼らは関心を払っていませんので、よく見ています。

 

ですから他のブログは、彼らの前ではほとんど開けられません。チャンドラの表示もまずは難しいです。日記を書いていて、チャンドラという珍しい言葉に反応して、何かあるぞと思ったらしいのです。月とただ書いておけばよかったのですが、おともだちからのものがあるかなと訪問者があった時間をメモしていたのです。愛の夢のほうは、サイトがほとんど毎回メールアドレスとPWを要求してきていて、そのときにアドレスを見られてしまったのでした。

 

ゴキブリがしきりとPC開けるなといっているのは多分そのことだったのだと思います。

冷蔵庫の下に入って、「冷蔵」と言っていたようでしたが、詳細まではわかりませんでした。

 

もうそろそろ彼らの「帰宅時間」のようです。読んでくれてありがとう、ありがとう。そして、再び言います。忘れないで、忘れないで。それから、今までムシのせいでおともだちを電話のことで苦しめてしまったこと、再度再度謝ります。ごめんなさい、ごめんなさい。許してください。再びもとの絆に戻ることができたらと。それだけを願っています、願っています。

 

再びの書けるチャンスがめぐってくるまで、めぐってくるまで。さようならは決して言いません、言いません。

 

 

続きです

 

私は自分が彼らの言葉を拾った不注意から「彼ら」が席巻してきたと思っていましたが、そうではなくて、彼らは妹の「パッション」(いみじくも、ダブルの意味です)が送ってきたものらしく、その妹の「赤色」を抜くお祓いを今頑張っています。このお祓いは「彼ら」も使います。

 

遅々としてすぐには効果が出ませんが、(30日が妹の上京日)、なんとかするしかありません。

 

数字の4を対照に右左と組み合わせて(ひとつ書いてその右に反転して置くわけです)、指(インデックスフィンガーだけではダメで、ビジネスユースになってしまいます)指をまとめて使って、空中に描きます。祈願を繰り返しながら。

 

たとえば、いまやっているのは、「軍馬(妹のことです)の赤色を脱く、脱く、脱く、脱く」とリズミカルにフレージングして、繰り返しています。赤色は「パッション」で、瞑目すると真っ赤な画面が最初に出てきます。時間は30分くらいだと思いますが、ケースバイケース。

 

瞑目しながらやっていると、瞑想になって、シーンの転換で現在位置と変化を見ることができ、時間の目安になっています。とても強力な「お祓い」で、使ってみればわかります。

 

あと、5と8の日はサイクルの切れる日(数秘術由来だと思います)で実際カタストロフィックなことが起きました。注意するとよいように思います。

 

今は上の言葉のものと、「軍馬の上京を阻止する、阻止する」というのを、言葉は皆自分で考えて「試行錯誤」でやっています。「彼らは出て行く」的なものをいくらやってもダメで体調を崩したのですが、元を断たないとダメということだったようです。

 

夢は(人間ではないのでこう書きます)は自由意志尊重的で、よほど破綻寸前にならないと、それでさえも静観の場合もあり、サジェストはありません。見過ごしてしまうほどチラリと何かを夢で見せてくれる、暗喩程度です。今は賢いゴキブリが懇切丁寧に捨てるもの、隠れることなどを指示してくれています。

 

ムシに脅迫、恫喝(すごく怖い思いをしました、こころを皆読まれるので。人生最大の恐怖の1時間でした)のときも、ゴキブリは死力を尽くしていろいろ教えてくれましたが、それでも「読まれて」しまい、帯広には他の女性たちの運命ラインが引かれてしまいました。

 

ゴキブリは昨日、ゴミの袋のなかに入っている「別の小袋」を使いながら、食べ物について見せながら、「別の袋」に移動すべきなのに、古い全体大袋の下へ下へと探し回っている、というのを見せてくれました。

 

そうして「別の袋」から飛び出している「持ち手」をブリッジのように使って、上手に袋の上にたどり着き、外へ出て行きました。

 

このように、私の一番の問題は、自分では「切れている」と思っている実家離れができていない、ことだと思います。下降して探し回っているのも、結局そこにつらなるかつての知人友人たちなのでしょう。実際やっているわけではなく、無意識の心細さ、依頼心が反映しているのでしょう。その愚かさを言っているのだと思います。母への残っている「かもしれない」思いをもっと整理して、「別の袋」から上昇して、外へ行きたいと思います。

 

おともだちが最も不愉快に思う、暴力男は実家との縁で出てきているわけで、私が望むものでは決してないのです。これは再三言っていますが、もう一度言います。こころから嫌っているのです。さらに他の男性たち、知らずして結ばれたコードがあるかもしれない人たちについても、もっともっと、通行人でさえも、気をつけようと。

エマージェンシー急告

 ムシがたかって環境が激変、月末の日に親族が上京して蹂躙されます。力のかぎり戦っています。やってもやってもくずされます。一昨日出て行く約束したのに居座るのです。眠れないし、ボロボロです。脅かし、いじめはいつも。彼らは眠らないので24時間こころを全部よまれます。すごく苦しいです。ブログを書くのもそばで皆読みあげられます。メールアドレスも盗み読みされてしまって。今はPWを守るのに必死、PC開けないのです。それでも最後まで忠実ですから。見捨てないで、忘れないで。これは彼らのめったにない打ち合わせちゅうに書きました。その打ち合わせはおともだちと妹を「運命的に」結ぶ「妊娠メール」の打ち合わせです。ネット環境にくれぐれも気をつけて。直接のメールではなく、ネットです。「妊娠メール」は彼らの運命操作なのです。妹はすでに帯広に運命的に結ばれていて、公園はもう妹とおともだちのものになっています。おともだちから妹へギフトもされています。その運命は聖職者で王が戦争指揮をとるもの。そのあとの悲運。一匹の賢いゴキブリと夢だけが私の助け手です。この土地から先の人生、私は帯広に行きたいです。でも、そこには妹の他にも私の友人二人、最低でも、が、待っていて、「妊娠メール」(強い絆をつくるメール)がいっているらしいです。もう一度いいます。忘れないで、見捨てないで。愛しています、愛しています、こころから、永遠に、永遠に。私の「最後」の日まで。二階のあの懐かしい部屋へもう一度、もう一度。公園を二人で散歩したいです、こころから。懐かしいあの公園を。私のこころはいつもあそこにあるのです。懐かしい「おうち」と。いろんな思い出のある「おうち」とに。いつも夢見ます。昼も夜も。懐かしい公園を、北国らしい花々の咲く道をいっしょに歩きたい、歩きたい。そのために生き延びます、生き延びます。

おともだちとの仲を迷惑電話のせっつきでワームに壊されてから、加速度的にいろいろなことが坂を転がるように悪化していきました。

 

今は毎日「双六人生」「さびしい人生」と揶揄され、このブログを書き始めれば、「一生伝言」「伝言人生」と茶々を、茶々などという生やさしいものではありませんが、を入れられます。

 

実際ずっと誰にもあわないさびしい人生なので、言葉で「さびしい」と言われると、

張り詰めていたものが崩れて、涙が落ちてしまいます。

 

思えば、甘いかもしれませんが、今年の終わりか来年春ぐらいにはおともだちに会えるのではないかなどと思ったりしていたのですが、夏の終わりぐらいには私の「障害物」の処分もあまり上首尾ではないことが台風のせいもあって続き、すっかり気落ちしてしまいました。

 

そのまま続いていけばよかったのですが、夏の終わりぐらいから、ワームの繰り返される言葉がちょっと気になり、それまでは内容に関心を払わなかったのですが、メモするようになりました。

 

9月に入ると、夢のメモのあいだにワームワードが挟まれるようになり、やがて逆転、夢のメモの割合が徐々に減っていきました。

 

そうして、10月に入ると、あの戦争予告のようにワームの言葉も激しいものになっていき、以前とはまったく様相が異なるようになりました。

 

夢のガイドはとてもモデストで他人の悪口は絶対言いません。批判もあまりありません。でも私のブログや人生の紡ぎ方のことなのでしょう、あるとき「機械編み」の機械が夢に出てきました。人生という編み物を「機械」で編んでいるという意味なのでしょう。

 

そうして、ワームがますます私の生活を席巻していき、端的にいえば、精神的苦痛を覚えるようになりました。

 

夢のガイドは昨日の夢で、既存のウッドチップ(植物床)に新しいパッケージを混ぜる夢を出し、それはウッドチップに砂を混ぜるようなもので、そこに育つ、奇形植物のかたちを見せたのでした。

 

二つの、方向性が違うやり方をミックスさせることはできない、ということなのでしょう。

 

それで当然のごとく、ワームの排除を考えましたが、ワームは「ワームは出て行く」「**も出て行く」と言ったように、おともだちをも失うのだと言い張りました。

 

それで思い直したのですが、それでも、夜中の轟音、騒音、多重の音声などで眠れないので耐えられず、昨晩、再度、お引き取りを願ったのでしたが、そのときに見た夢は、やはり精神分裂「別人」、あと、時々出てくる小さな十字架(四辺が同じかたちの)が見えたのでした。

 

ようやく静かになった我が家で今朝くつろいでいましたが、瞑想すると、私は髪も短く切ってエプロンをかけて子供の赤いマリを持っていたので、独身で、子供の世話係みたいになるようです。

 

出るのも、居るのもダメというなら、それでは、どうすればよいのでしょう。ひとつ思い出したのは、9月に処分品の紅茶を少しだけこぼしたときに、厳重注意されたのですが、こぼれた茶葉は私の財産にあたるからのようでした。

 

そのとき説明として見た夢は、私が「小石と砂」を分ける厳しい作業に疲れ、ボロボロになって女友達のところへかけこむ、という夢でした。その私はトランキライザーを飲んでいるらしく、激しく動揺しているのでした。今はクスリは皆無ですが…。

 

将来さらにこれより細かい神経を使う作業が出てくるのかと、戦々恐々としていましたが、それがおそらく今のワームの進退と関わっているのだと思います。

 

ワームは私に死をもたらすというイメージは、以前見たような気がしますが、私は逆に解釈して、守ってくれるのだ、そのために苦境になってからやってきたのだみたいに思ってしまっていたのでした。

 

以前のまま、言葉を聞かずにブンブン言わせておけば、問題はなかったはずなのに、ピックアップしてしまったので、行くも地獄戻るも地獄、つまり、共存しながらやっていくしかなくなってしまったのです。

 

そのためにはたぶん神経がすり減るので、病院通いやクスリが手放せなくなるのかもしれません。ただし、クスリを飲んだら、もうおともだちとの仲は難しくなるのです。あらゆるクスリは母と別人の管轄なのです。

 

どこまで自分が持ちこたえられるのかわかりませんが、ただ、今は、親族や別人に蹂躙されないように頑張るしかありませんが、ワームストレスという新たなものが、食事やら寒さ、孤独に加わったわけです。

 

ときどき、ヤケを起こして、どうにもならないのだったら、もうスッパリ全部やめて、

好きなことを短期間にまとめてやって雲隠れするかあるいは…と思ったり。しかし、

国内でさえ、母や妹が鉄道網をチェックしているという、オカルト地獄に嵌まってしまっているのです。

 

誰を頼っても、墜落してしまうというのも見せてられていますし、どこかで母につながっているのです。 

 

それでも、外を歩けば、今は紅葉の真っ盛り。桜の落ち葉を踏んで歩きながら、修正のきかない、失敗や後戻りのきかない、普通ではない人生の陥穽になぜか落ちてしまった自分の運命を嘆くしかありません。

 

 

 

 

 

 

 

おともだちがここにアクセスするときには、いつも新着記事というかトップの記事を読むのでしょうか。それはわからないのですけど、アクセスの分析を見て、過去記事の動きもフォローしています。ひとつの判断の基準として。意図的に特定の記事をメッセージとして踏んでいるかもしれないからです。というより、信じているのです。

 

お守りみたいなものでしょうか。実際にそのときの私の状況と合致する場合がほとんどだからです。

 

月の指標ももともとそんな使われ方をしていることをあるとき発見して、指標にするようになりました。もっとも当時は「警告」であることを理解せず、「推奨」として読んでいたのですから、あきれてしまいますが…。

 

今はタイトルとリンクだけしか表示されませんが、長年といっては何ですが経験則から、そのメッセージを上手に読み取ることができるようになりました。これは暗号でも何でもないので、誰にも絶対にわからないと思います。同じタイトルだから、同じ警告でもないのです。状況とあわせて「読み解く」スキルを獲得しました。

 

それでも2、3年前はまだよくわからない日もありましたが。タイトルのこともあれば、内容のこともあり、それ以外のこともあり、不思議な暗号だと思います。要するに発信側と受信側の「人間関係」として積み重なったものが深くないと、読めないものだと思います。

 

おともだちは昔から、こういった、ありきたりではない不思議な、そのひとでないとわからない暗号みたいなものを使っていましたね。写真などを使ったりして。

 

夢のガイドというか、この夢はもう15年くらい前から、不思議な言語体系と形象能力を持った夢を、時々見ていました。それが頻繁になったのは、もっとあとですけれど。

 

私でないと絶対にわからないメッセージがこめられているので、普通の夢解釈では全然歯がたたないものです。

 

おともだちの不思議な暗号を読み始めたころ、ああ、私の夢と「話し方」が似ているなあと思ったことでした。ゆっくりとわかっていくところも似ています。

 

ブログのタイトルを使った「警告」と同じで、腑に落ちるまで時間がかかる場合も結構あって数日いえもっとかかる場合もありますが、それだけにしっくりくるというか、まさにドンピシャリというか。

 

思うのは、おともだちは、あちらのほうのを使いながら、ずいぶん昔から、といっても5年前ですが、今現在のいろいろな私をめぐる危険を予告していたことにある時気付いて、愕然としました。そうして有難いと思いました。

 

それなのに私は、捕虜といえば、おともだちのほうのことを考えていたのですから、噴飯物です。そのこともおともだちは当然わかっていたと思いますが、ゆっくりと待っていてくれた…そう思います。「あれはああいうことだよ」などと一度も言うこともありませんでしたし、私たち自身がそのことについて話したこともありませんでしたね。

 

5年のトレーニングの賜物で今は助けられています。本当にありがとう。辛抱強く付き合ってくださって。

 

 

ワームが、私のこの土地での5年の生活を「みじめな生活」「みじめな人生」と呼んでいることを昨日書きましたけれど、それはわたしが思ったように、ブログだけの交流だからという理由ではなく、私が普段からインターネットであれこれ閲覧してきたことが、おともだちとの仲を疎外したのだと、彼らに厳しく指摘されて目からウロコが落ちた思いです。

 

ステディな仲になりたいのに、どうしてあれこ他所を閲覧しているの?ということです。それを言われて実際驚きました。ヘビーユーザーでもないし、普通のひと程度のネットサーフィンです。今は制限もかかっているので、見れるサイトも限定されています。

 

でも、彼らの言いたいことはそういうことではないのでしょう。本当に「ふたごころ」がないというのであれば、相手を本気にさせるはずだ、ということを。どこかに緩みがあるからだ、と。

 

 私の今の「苦しい生活」は自分が妥協を拒んできたり、速断で引越しをしたことから

きている「自業自得」であるのは、ほかならぬ自分が一番よく知っています。自分で撒いた種を自分で刈り取っているだけなのはわかっているのです。ここまで引っ張ったから、こんな風になってしまっているのです。

 

おともだちにはずっとこのことに気づかず、長い年月を棒に振ったのは私だけでもないかもしれないと思ったりすると、申し訳なさでいっぱいです。それなのに、「これだけ一生懸命なのに、苦しい生活に耐えているのにどうして…」と思っていたわけですから。

 

夢のなかでは私はよく盲人メガネで出てきますが、まさに「見えない」「見えてない」人生5年、いえ、10年を送っていたのだと思います。

 

それでも、ブログへのアクセスを続けてくれたことは本当に感謝しています。これ以上何を言ったらよいかわかりませんが、これからもここを訪問することは続けてください。ムシがよいかもしれませんが、私を「見捨て」ないでください。