戦争と平和

昨晩は、寒くて目が覚めた。季節はすっかり秋。

 

9月の末から、BBCウェールズ制作の「戦争と平和」をテレビでやっていて、最初は「えっ?何これ」と思ったが、結構楽しんで見ている。(日本人の吹き替えだとイマイチなので、英語音声で聞いているが、なぜか教会シーンの司祭だけはスラヴ語なので、本物を使っているのだろうか…)

 

最初驚いたのは、ナターシャ役がダウントンアビーの跳ねっ返り娘のローズをやっていた女優で、私のナターシャイメージとあまりにかけ離れていたことで、なんだか青春ドラマみたいだったからだ。

 

が、ナポレオン戦争の時代であるわけだし、戦闘シーンが非常にリアル。かなり血みどろなので録画で昼間見ることにしている。

 

戦闘のみならず、第3話では、アンドレイの妻リーザが出産で命を落とすシーンがあって、これもうめき声や医師の血まみれの白衣、さらに、リーザ自身の亡骸も血みどろで、リアリズム極まれりだが、それはそれで慣れたし、その中にもある種の「様式感」があるので、ショッキングだが不快ではない。

 

考えてみると、こういうリアルなものを避けると、この話は思弁的だったり、華麗な貴族社会の大河ドラマみたいになってしまうのだ。その意味で、「生と死」を重厚に、リアルに描いているところは卓見だと思う。

 

一つ非常に特徴的なのは、エロスの要素が前面に出ていることで、ソ連版や昔の米版と違うところだ。ピエールの淫蕩な妻エレーヌの誘惑者としてのキャラクターや、ピエールの夢などを使って、セクシャルな要素が非常に色濃くたちこめている。

 

意外なつくりかたではあるが、考えてみれば、トルストイがいわゆる霊肉の相克に苦しんだひとであることを考えると、この一見青春ドラマ風であるのに、こってりした味わい、単なる陰影というには妖しい雰囲気は、実はトルストイの本質を非常によく咀嚼hしているといえよう。

 

第3話は駅馬車のステーションの待合室で、ピエールがフリーメーソンの男とたまたま相客になって、という流れだったが、こういう「ドラマ」のつくりかたは、やっぱりイギリス人は巧いなあと思った。メーソンの入会儀式も、絵画的且つドラマチックで、印象的だった。

 

多分、この監督は、絵画的要素をかなり狙っているようであり、場面場面で切り取ると、とても美しいシーンがいくつもいくつもある。

 

ナポレオン軍との戦闘が終わって、倒れた兵隊たちが伏している野原をアレクサンドル1世とお供が騎乗してやってきて、駒をとめて、軍旗を握って倒れているアンドレイを眺めるシーン。

 

決闘の野原に立ち尽くすピエールの長いマント姿と、一面の雪原。そこにわずかにある林。

 

リーザの出産を待ちながら苦悩するアンドレイや召使が立ち尽くす、ロストフ家の何重にもアーチになった廊下の光と影や、金色に光る聖ニコライのイコン。

 

この時代は、軍服が美しい最後の時代だったと言えよう。戦争にもスタイルや美というものがあった時代だったのだなあ、という感慨が今更のようにわいてくる。