昨日は夜中の1時に多数回のアクセスがあったけれど、自分が眠っているあいだなので、何が良いことだったのかよく分からなくて、残念に思った。
去年の6月に最終的にN堂での拝観のヴォランティアをやめて、新しい生活を始めたいと思い、やっぱり一度おともだちの街を訪ねて・・といろいろ考えていた。とくに、春、桜の季節に行きたいな・・とか考えていたのだが。
私が心底軽蔑している新首相が3、4月に渡米するというのが盛んに報道されていて、まるで私の真似みたい、と、意味なく怒っていたのだが。
おともだちの街にはもう一人の別の女友達がいるわけなのだけど、前回彼女が「今度来た時はこの部屋よ」とゲストルームを示してくれたし、ご主人も「次回はHILL・・・のコレクションを見るといいよ」みたいに推薦してくれたのだが・・・。(彼女のメールから悪い「別人」を連想したりしたので躊躇する部分がある)
いずれにしても、毎日閉じこもって読書に明け暮れているのも疲れが溜まっている。ただ、悪口というわけではないが、N堂では女性達に「変人」と言われ、言われのない糾弾をされたりして、そんなにまでして留まる意味を疑うようになったわけである。
カルト宗教ではないが、長年の習慣を変えるのは、といってもこの4年ぐらいだが、なかなか難しく、日曜日にゆっくり食事をしているとなんとはなしに、やましい気持ちがしたのであった。最近はようやく回復したが、だから、宗教的習慣からの離脱は本当に難しいというのがよくわかった。
N堂からは河童神父にご注進する人が以前いたので先手を打つつもりで、私の受けた被害をシンプルにメールで訴えたのだが、その点について全く無視されてしまったので、かなり失望した。また、新主教の布告で、confessionがcommunionと紐付けられてしまったことにも疑念を示して、何らかの意見をもらえるのかなと思ったが、これも無視で二重に残念だった。
河童神父はリタイアしたけれど、時々リトルギアを代替聖職者として務めているということなので、教会批判はやっぱり聞きたくないのだろう。N堂を辞職した際には金銭問題でかなりのことがあったと言われていても(私はそれは誤解ではと思っているが)。
それにしても、24年のはじめにマトシカが交通事故に遭ってhalf deadだった、聞いてない?と書いてあって驚いた。今は歩けるようになったということだが。彼女の母親もクルマの衝突で亡くなった。息子も交通事故を起こした、それが神父の辞職の理由とか、N堂では言われていたが・・・。