薔薇の香り

一週間ぐらい前から山茶花の垣根の中に、ちらほら硬い蕾が顔を覗かせるようになった。文字通り「こんにちは」と言っているようである。その硬さも可愛らしいし、「ああ、冬の到来だなあ」と思わせる。山茶花バラ科なのかなとふと思ったり。

 

私はアイドルグループとかには全く興味がないのだけれど、例のジャニーズ系の「嵐」という5人組が解散するので全国の拠点でラストツアーをするといって大変な騒ぎになっている。というのは、この種のファンは遠征といってどこまでも出かけていくし、その度にホテルや航空チケットを押さえてしまうので、ホテル代は高騰し、ビジネス客などが大迷惑を被る仕儀なのである。

 

2013年、私がまだ北国にいた頃、ROCORの所蔵の「クルスクの木の根の生神女」という、数々の奇跡を起こしたイコンが来日というので、どうしても拝謁したくて、上京したのが、11月のことだった。

 

御茶ノ水付近のホテルを探したのだが、どこも満員でびっくり仰天。みんなこれを拝みに来るのだろうかと一瞬思ったがそんなわけがなく、あとで事情を聞くと、関ジャニという関西のアイドルグループの公演があるためということだった。仕方がないのでビジネス仕様より少しグレードの高いところに泊まらざるを得なかった。

 

その時貰ったペーパーイコンは今も飾ってあって、ラミネートしなくてはと思いつつ、そのままになっている。生神女もキリストも、周囲の聖人たちも素朴で古拙な雰囲気のある聖画像。

 

タタール人を撃退したとかいう大きな奇跡の謂れがあって、木の根っこに置いてあったというから、そんなに大きなものではないのだろうが、いろいろ装飾されていて、かなり大型のものだった記憶がある。

 

そのお披露目の際、イコンの由来を読み上げたのが主教さんとか神父ではなく、芥川賞作家であるところの某女史であって、彼女は夫である輔祭がイジメにあって病気になり教会を去ったと聞いていたので、カムバックしたことにちょっと驚いたし、とりわけ、病気になった経緯をネット小説に上げたのを読んだこともあったので、あれだけ激しい内容を書いたのに、教会は許したのか、あるいは、著名人を結局広告塔として使うということなのかな、と思い、複雑な気持ちがした。

 

神父の集合住居でゴミ箱の中身を他の神父が漁って、「この家では大斎なのにピザを食べた」というのが噂になったり、メインで糾弾されている神父が夫の輔祭に取り入りつつも、ネチネチ嫌がらせして、結果、輔祭の首が動かないようになったとか、凄まじい内容だった。そのネチネチ神父もテッサロニキで建築の勉強をしたいたとか書かれていたので、誰かというのはすぐ分かる。

 

私は彼女はある種の才能はあるだろうが、ああいうものを正教文学のようにもてはやしたりすることには全く同意できないし、三島賞受賞作なども広島の原爆と情事と輔祭を絡めて、フランス文学の亜流に正教道具立てを加えただけの、文字通り、「芥」だと思っている。

 

割合最近、いつ頃かははっきりしないがその夫の輔祭が亡くなったことを知った。なんでも北海道出身らしく、優秀な人だったらしいが、そんなこんなで神経的な病気になり、離婚し、帰郷し、父親が世話していたとか。彼女の方は別の信徒と再婚したという。

 

その過激なネット小説は、虚心坦懐に読めば、おそらく書き手の粉飾も誇張もあるだろうと思う。大筋はそんなところだろうが、激しい怒りや憎悪が動機になっているので、ある程度割引して読むべきだとは思うが、それにしても一番気の毒なのは亡くなった輔祭さんである。小説家はだいたい性格の良い人はいないので、ファム・ファタルという雰囲気の女性ではないけれど、彼女はそんなところだろう。

 

今回のイヴィロンの生神女はクルスクのものに比べて小さめのもので、青いビロードに真珠の縁取りが装飾になっていた。クルスクのようにオリジナルではないので、あまり特別の印象は感じなかったが、ホノルルから奉じてきた司祭が各人に塗油をして、そのオイルのバラの香りがかなり強烈だった。この香りがイコンから出てきたものなのか、よくわからない・・・。この日、21日は天使のシナクシスの日であり、ダニイル主教の時はお祈りをしていたようだが、今は止めてしまったようだ。(このバラの香りはワインでいうところの天使の分け前?)

 

平日ということもあり、参祷者は百人弱ぐらいで、ロシア人がほとんどだったが、彼らはすこぶる行儀が悪く、モレーベンの最中に結構写真や動画を撮っていて、まるでイベント会場のようで、鼻白むものがあった。コミュニストソ連生まれの人たちはこれだからなあ・・と私はひとり心中慨嘆していた。クルスクの時とは違って、このイコンと日本のニコライ主教のイコンを並べて置き、その前にレリックケースを置いての式であった。ケースの中にはさらに小さな直径5センチぐらいの黄金のケース(放射状の太陽みたいな)が置かれていた。

 

クルスクの時はもっと日本人も多かったと思うが、日本正教会はコミュニティ活動が好きな市民活動家がほとんどで、外交と陰謀はモスクワに任せて・・・という批評を思い出したりした。

 

そういえば、千葉の修道院から修道女が二人来ていて、彼女たちは前にも見かけたことがあるけれど、年配の人の方は険しい顔の女性で、佐山主教が最晩年、ロシアから派遣されてきた修道女たちに看取られたということだったが、実はかなり酷い目にあっていたということを研究者の方が、暗に匂わせる形で書いていた。中島敦の牛人という小説みたいなことがあったようだ。修道院を手伝っていた青年に聞いた話だという。

 

イヴィロンというのはジョージアにあった国のことだというが、ロシアにあったイヴェルスカヤのイコンは革命で所在不明になったし、モントリオールのものは守り手が暗殺され、これも所在不明になったし、犯行はギリシャで、容疑者はルーマニア人とか、いろいろな逸話に事欠かないイコンである。

 

もちろん、ジョージア人のマダムDも来ていたわけである。ひょっとしてあそこの一番の権力者はこのマダムだったりして。何十年たっても歳をとらない不思議な人である。

 

くだんの神父たちの集合住宅も、3月には取り壊される。

 

学院の前庭にあった白樺も伐られてしまったが、花々は誰がお世話しているのか、季節ごとに植え替えたり、よく手入れされていて、年々歳々花相似たり・・と思ったり。