月日の経つのは本当に早いもので、5月の連休明けになるといつも、「ああ、この季節におともだちと再会したのだったなあ」と記念日のように思い出す。もう十数年経っているのに、まるでつい最近のことのように、懐かしい記憶が甦る。

 

ここへ来てからどこへも旅することもなく暮らしているので、紀の国にもう一度行ってみようかなとか、急に突飛に然別湖、何かもう使われていない不思議な橋梁が浮かび上がるとか、どこかで読んだような、以前から行ってみたいと思っていた、そんなところへ心だけが羽ばたいていってみたり。

 

そんな私だけど、今は歴史の中に亡命しているようなもので、心の糧をそういうところで得ているようなもの。

 

でもそれはあながち逃避ではなく、過去のいろんな証言やら出来事を知ると、「そうだったのか!」「ああ、こういうことだったのか」と現代に引き比べて納得できることが多いからである。結局、時間が経って、振り返ってみるとわかるというのが、真実なのだと思う。起こっている時はその真相はよくわからない。もちろん後でも全てわかるわけでもなく、隠されているものもある。

 

ただ、ある種鋭敏な、感じやすい心を持った人や予言的な感覚をもともと持った人たちが、只中にあって、意味が先んじて分かるのだろう。

 

WW1のきっかけはよく知られている、セルビアを訪問したオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子の暗殺だが、その頃にはまだラジオもなくて、人々は静かな環境で暮らしていた。

 

ある作家の回想録を読んでいて、その年の春、初夏は目の醒めるような美しさで、生命力が横溢しているような、そんな春だったという。事件の6月28日、作家は、ヴェートーヴェンが好んでいたある温泉保養地で休養していて、ベンチに座って、保養地の楽隊の演奏を聴きながら、読書していた。周りには保養地らしく、人々が散歩したり、談笑したりしていた。

 

ところが一瞬にして、楽隊の音が途絶え、あたりがシーンとなった。突然の静寂は何か不思議なことだった。気がつくと、人々が息せききって、掲示板に貼られた布告のところへ走り寄るのが見えた。それで彼も立ち上がり見に行って、凶報を知ったわけだった。

 

それは確かに衝撃的な出来事ではあったが、皇太子自身は国民に人気がなく、人々は衝撃を受けながらも人気のある次席継承者に期待したし、オーストリア自身や関係、周辺諸国も、諸般の事情から、戦争を避けたいというのが本音のところだった。実際、作家はその夏、葡萄畑を友人と散策しているときに、年老いた葡萄農園主が「これまでにない夏でした。きっと素晴らしい葡萄酒ができるでしょう」と聞いたことを記している。誰も戦争になるとは思っておらず、いつもながらの暮らしが続いていったわけだが。

 

ところで、沙羅家保事件の当日の午前3時半、皇太子の師の司教が悪夢で飛び起きた。その夢の中身は、郵便物の一番上に、黒い縁取りの封筒がのっていて、黒い封印、皇太子の紋章がついていた。中には、皇太子のそれと分かる筆跡の手紙が入っており、便箋の初めのところに、薄青い絵が絵葉書のように書かれており、一筋の道路と一本の露地があり、皇太子夫妻の乗った車、お付きの将軍や士官、周りの群衆が描かれ、突然二人の若者が飛び出してきて、夫妻を撃つというものだった。

 

手紙の文章は、「司教閣下よ、今日、私と妻が沙羅家保で暗殺されることを伝える。私のために敬虔な祈りを捧げてくださるよう。敬具 大公フランツ 1914年6月28日  午前3時15分」となっていた。

 

司教は驚いて飛び起きて、見た内容、小道の絵を急いでスケッチし、二人の人にこのスケッチに証人としてサインをしてもらい、郵便で司教の兄送ったという。実際に、後日、新聞に載った事件現場の写真と全く一致しており、そうして、皇太子の暗殺を知らせる電報が届いたのは、午後3時15分だった。

 

このWW1トリガー事件にはもう一つ不思議なことがあって、この暗殺事件が起こった

6月28日に、ロシアでの別の事件が照応していることである。ロシアの羅須府珍はその頃、

宮廷人士から疎まれて、シベリアの故郷の村へ帰っていた。彼は非戦論者で、皇帝にはいつも

バルカンでの戦争には利がないということを主張していたのだが、この怪僧の家に「偽キリストめ」と女が押しかけてきて彼を刺し、未遂に終わったが、大怪我をして入院。

 

沙羅家保と羅須府珍の故郷は、経度にして50度、沙羅家保の11時はポクロフスコエ村の2時15分と、この二つの暗殺時刻は重なることになる。そうして、僧は入院中、ロシアのオーストリアへの戦争動員を知って、皇帝に止めるように電報を打ったが、皇帝は却って立腹したという。

 

この二つの出来事は歴史的偶然ということなのだろうか。必然というのではなく、いろんな出来事がバタフライエフェクトみたいに、羽ばたきあって、歴史の車というのは回って行くのだろう。

 

暗殺された皇太子は、狩猟の名手だったが、世にも珍しい純白のアルプスカモシカを見つけ、銃で撃ったことがあった。白いカモシカは神の使いと言われ案内人は止めたのだが、彼は聞く耳を持たなかった。白いアルプスカモシカ撃つと、その者は一年以内に死ぬという山岳地帯の言い伝えがあったという。