早朝に目が覚めて眠れないので起きて、朝食を食べた。といっても、ハムとレタスを載せた

トースト一枚なんだけど。同じものを夕食にもしていて、あとはお昼に菓子パンを食べる、そんな日々。

 

「ご飯」を食べれば彼らのいうところの「ご飯の手続き」が「潰れてしまう」のだそうで、よくわからないが、和食なら和食、洋物なら洋物と種類を統一しなければならないという。

 

カレーを食べれば、私の「未来」はインドに結ばれて、いずれインドへ行ってしまうとか。タイやベトナム料理でも同じである。

 

ギリシャ語の宿題をしていただけで、「外国人生」になってしまうといい、教会のことがあるので、「ギリシャ」と「ロシア」のあいだで板挟みになるのだという。「おいしいところ」はそうして、他のひとが持っていってしまうとか…。

 

話し相手が誰もいないので、落ち込みが酷くなっている。母の死後事務のことでいろいろな困難がありそうだけど、相談するひともいないし、自分のなかでだけ考えているので鬱が酷くなっている。

 

まぜこぜにするのを彼らは嫌うので、教会にいくだけにしているが、あまりに落ち込みが辛いので、以前の病気のときに教えてもらった「能理斗」(のりと)を唱えた。神事がなかに入っていて、唱えるだけで、少し落ち着いて、こころが晴れた。

 

最近は教会でじっと祈っているだけで、ひどく辛いのだが、自分が声を発すれば、少しラクになるとわかった。