どれだけ言葉を尽くしてもわかってもらえない、この状況。なぜなら「彼ら」の声は私にしか聞こえないから。

 

何かをするたびに「そうしたら、これこれがダメになる」とか「何々を取り上げる」という彼らの声がする。

 

食べ物についても、逐一その声がするので(と、こうタイプすると、彼らが「せいしんびょういん」「せいしんびょういん」とユニゾンで歌う。こういうと、それは私の思い込みか幻聴に過ぎないと言っているかのようだけど、実際にいろいろなことが食べ物に関しても起きるので、そうではないだろう)

 

あらゆることが、一対一対応で起きる、異様な世界。

 

思い過ごしだろうと、考えようといつもしているが、あまりにダイレクトなので、否定しようにもすることができない。

 

あるとき、忘れ物をして、家に取りに帰って、急いでまた電車に乗って目的地へ行こうとしたとき、昼間の電車なので空いていたが、真向かいに座った人が、エンデの『モモ』を掲げるようにして読んでいた。

 

これは、人の時間をかすめ取る「時間泥棒」という灰色の男たちが出てくる物語で、現代社会の風刺なのだが、書名を見て、心臓がドキッとした。

 

お酒はもちろん飲んではいけない。でも、昨日は疲れていたので、夕方、少しビールを飲んだが、電車で向かいにやってきて座った女性は、ビールが溢れているジョッキのTシャツを着て、実際にも赤い顔でそのうち眠ってしまった。

 

私は少ししか飲んでいないし、顔にも出ないが、それにしても、あまりにダイレクトだった。

 

外出すればほとんどすべてが、「私の行動を咎める誰か」の風刺や批判、警告めいたものが

逐一目に入る。こう話しても、精神疾患、被害妄想としか思われないだろう。

 

誰にもわかってもらえない、ということが孤独感と疎外感を強める。

 

読書や勉強も批判の対象で、複数のことをしようとすると、眼帯をした人に会う。「目を痛める」「足を失う」「手を失う」など、さまざまなことを、しばしば言っている。

 

彼らはよく「足」について言うが、文字通りの「足」(禁止条項に背くと車椅子に会う)かもしれないが、「外出の可能性」「将来の可能性」を意味しているような感じもあるが、わからない。

 

毎日、家の中では怖いことがいろいろあるが、とても書けない。

 

あらゆることが「コインシデンス」している、そんな世界に閉じ込められている。出口はどこなのだろう。