年が明けて、2022年となった。

 

世の中はコロナで騒がしいけれど、ワームの国の測り難さに比べたら、結局ウィルスの問題なので、いずれ目処はたつと思っている。

 

時々不思議に思うのは、2010年代にインターネット界隈で言われていたこと、当時は本気にしていなかったことが、起きていることだ。

 

ワクチン接種が義務づけられることや、世界的に移動の自由が制限されるということで、いわゆるコンスピ…セオリーに当たるが、実際にこうやってコロナのために渡航や移動が難しくなっていることだ。当時は、政治的に強権が発動されて…みたいな話だったような気もするが、

結果的に検疫という面で、そうなっているわけである。

 

私に関しては、「思考」を介して人間同士が影響しあっていることが日々顕著なので、家に篭っていた当初はひどく辛い思いをしたが、最近は、「見えない世界」と「見える世界」がダブルになっているような事柄が頻繁に起こるので、家でひとりでいるとかえってほっとしたりする。

 

しかし、それはそれで、今もワームがこれをタイピングするたびに「人生勉強」「人生勉強」とか歌ったり、「苦しい人生に」、あるいは、「なんとかの手続き」というのをリフレインするので、こころの休まる暇はない。

 

最近は、家のなかで、アリみたいなものが、日々死んで見つかるようになって、それらはたいてい、使用禁止エリアのあたりで死んでいるし、シンクのなかでグルグル回って、よく彼らが

私のことを揶揄して、いろんな興味、いろんな人々のなかをグルグル「転職」していることを言っているのを、体現しているかのようである。

 

でも、実際、今の私には生きた人間とコミュニケーションしている場面はほとんどないので、

ふと何かを思い出したり、テレビで誰かを見たり、ネット記事で見たこととか、そんな「記憶」や「思考」によって、いわば「裁かれている」わけである。

 

こういうところからどうやって出ていくことができるのか。

超常現象と脳の過敏さが混じり合った「異世界」に私はいて、現実世界でスーパーに行って、

夕ご飯の材料を買ったり、はたまた地下鉄に乗ったり。けれど、道ゆく人々は、紗幕を通したような私にとっては「異世界」のひとなのである。

 

こころしていないといけないのは、彼らの歌やビジョンを怖れて、何もできなくなっていたり、怖れて変更したりといった、怯懦におちいってしまうことだと思っている。