この奇妙な「プログラム」、過酷な「キャンプ生活」が始まる前から、そんなことはなんとなくあったけれど。

 

「彼ら」が私のことを「ガラスの存在」というように、私の中にあるもの、その行動とか思考とかアイディアとかが、外へ出て行って他のひとのものになっていくということ。

 

だいじなものを隠さない私が悪いと当初から彼らは言うが、極端な話、何もしてはいけない、考えてはいけないことになり、それは生きていることを否定してしまうことになる。

 

卑近な例で言えば、「オーメン」というのは、たとえば、スーパーに行けば、私が買おうかなとちょっとでも脳裏に浮かんだ品物が、気がつくと、あちらの人のレジカゴにも、また別の脳裏にあった品物が別のひとのカゴに、というふうなことは毎日のこと。

 

一番嫌なのは、私が書こうとしているレポートとか原稿が他人に流出してしまい(そんなことがどうして可能なのかと思うが)、私がコピーキャット呼ばわりされて、讒言されるということを、「夢」や「彼ら」がたびたびいうことだ。

 

こんなことは、人に言えば妄想か病気と思われるだろうし、実際にスキゾの人には、そういう「思考漏洩」みたいな妄想があったりする。

 

「失う人生」とか「さげすむ人生」とか彼らが毎日歌っているのは、そういう結果らしい。

「さげすむ」というのは、「さげすまれること」だと思うが、微妙に感じるのは、私が彼らをさげすんでいると、彼らが歪んで感じていることの、「仕返し」なのかもしれない。