今朝は午前3時頃に目覚めてからなかなか寝つかれず、そういうことはよくあるのだけど、
こういうふうにタイピングしていると、ワームが「ニュウイン、ニュウイン」と歌うのである。精神を病むという意味なのだと思う。
実際、病んでいるのかもしれないし、そういったことはほぼ3年前の彼らの「来襲」から言っていたことだ。
でも、能うる限り、自分の理性で、この苛酷な異世界「ワームワールド」の中で生きつつ、自分を何とかコントロールしているという点では、まだ「理性」の曇りはそんなにひどくはないのかもしれない。
いろんな、「しるし」や「夢」というのも、最初に遭遇したものを私が積み重ねっていって、覚えていることによって、自分を縛っている、あるいは自分にかけているマインドコントロールかもしれないとは思ったりするのだが。
「どう考えても普通ではないこのオカルト的状況…」とか頭のなかで考えると、ワームはもうその結果(らしい)を先取りして、「セイシンビョウイン、セイシンビョウイン」と歌うのである。
だから、日々、私はいろいろなオーメンや夢の示唆する危険をすり抜けるようにして暮らしている。だけどそれには当然ながら限度があって、何もかもというわけにはいかないのだが、本当に恐ろしいと感じるのは一例を挙げると、衣服を買ってはいけないのだが、それでも、「こんなのがいいな」と思っているだけで、電車に乗ると、そんな風な色柄、時にはまったく同じのものの人が乗ってきて、ギョッとすることがある。というより、あれこれの私の、欲求というほど強くなく、ふと思った「何か」が眼前に生じるという恐ろしさ。
これを何とかしたいので、解き明かそうと、いろいろ本を読んだりもしたのだけど、そうすると、そこにさらに新しい「接続」が鳥もちのようにくっついてきて収拾がつかなくなるので、控えることにしている。
要するに、「思いを抱く」そのこと自体が、いろいろなことを引き起こすということなのだろう。けれど、それなら、「こうなってほしい」と思っていることがどうしてかなわないのだろう。つまり、「怖れ」ということが、こうしたことの原因なのだろうか。
何かの「精霊」の逆鱗に触れている…そういうことかもしれない。土地と関係があるようなないような…。北国にいるころから「へんなこと」はあったけど。
どう考えても普通では