もうじき夜明け。あたりはまだ暗いけれど、遠くの空が少し明るんでいる。

 

17年の晩秋から、ほんとうに過酷な生活を送ってきた。それは私の身に迫る危険から自分を守るためという「お告げ」によってなのだけど、そのルールは日を追うごとに厳しくなっていった。

 

料理は一切してはいけないし、買ったお惣菜を食べるしかない。それもどんどん規制がかかって、最後はほとんど食べられなくなった。

 

19年の夏に脱水状態になってはじめて、スポーツドリンクを飲んで、そこで一気に変わっていったが…。それまでは水以外は禁止されていたし、それは今でも変わらないのだろう。

 

ワームの合唱は最初の頃から、「逼迫人生」という言葉をよく使ったが、これはいろいろな障害が多いという意味らしい。今もこれをタイピングしていると、久々にその言葉を聞いた。

 

足掛け5年、お菓子も果物もほとんど食べていない。料理は禁じられているので、電子レンジを使って簡単なものを作ったりしているが、それが中華風だったりすれば、「中国人生」になるというし、雑炊風になれば、もう「相撲部屋」。

 

こういうことは気にしなければなんとか我慢できるけれど、一番困るのは通信・情報網が途絶することだ。テレビもインターネットも禁止、ブログも書いてはいけない状態から今はようやく脱したけれど、「情報」に接すると、そこから「別の未来」が立ち上がるとしょっちゅう言われるので、その隘路を抜けようとする努力ばかりになって、そのうちに自分が何をしたいのか、しようとしているのかわからなくなってしまう。

 

つまり外界との接触は「芳しくない」ことであるらしく、私がメールを書いても、返信がくること自体が隘路になっているようだ。タイムラグがあって返信がくるか、来なくなってしまう。来る場合も、「何かが起こって」「何かをすれば」そうなるようである。

 

要するに、家から出てはいけないのであって、最近スマートフォンを持つようになったら、

古い写真やメモが出てきたり、超常現象としか思われないことがよく起こる。

 

怖いのは、懲罰なのか、私が禁をを破ると、公園のように樹木の多い家の周りなのだけど、

そこの木々が大々的に枝打ちをされてしまうこと、もしくは伐採されてしまう。家だけではなく、最近は「出先」でもそれが起こるようになって、伐られた枝の裸のような木々が痛々しいが、それは多分、私の姿をもう隠してくれないという意味なのかもしれないと最近気がついた。

 

あらゆることを禁止されていて、表に出てはならず、人とつきあってもいけないとしたら、社会生活は成り立たない。では、いったい禁止事項以外のどんな未来が私に用意されているというのだろう。「夢」は私がジャックと豆の木みたいなイメージを見せて、「未来」を内包している「豆」を今私が食べてしまっている、と譴責するのだけど。一理あるとは思うけど、それでも自ずから限度というものはある。教会の斎はルールがはっきりしているし、私の食生活、生活ルールの厳しさに比べれば、本当にやさしいものだと思ったりする。