SAY NO

 

理不尽だと思うのに、どうして夢のリクエストに応えるのがやめられないのでしょう。

 

昨日は最後にのこった半コートを処分しましたが、今は暑いけれど、すぐに秋は来るでしょう。雨が降ったときや、肌寒い日の風よけに着るものがまったくなくなってしまいました。せめて、ジャケットでもあればいいのですが、それすらすべてなくなっているのです。

 

どうして、「ノー」と言えないのでしょう。それは夢が全てを知っていて正しいからと思っているからでしょう。

 

カトリックのカルト的師匠についても、同じことでした。

 

彼女のスピリチュアルハラスメントにもかかわらず、そこにとどまって、こころの病気にかかってしまったのです。

 

彼女が私を責め続けたために、それが重圧になって、錯乱して、窓から飛び降りようとしました。普通は、責められたら、逃げ出すはずです。それができないのは、彼女が正しい、と思っていたから。実際彼女には未来を見る能力がある種備わっていました。

 

夢も、いつも私を責めています。親との関係に問題があるのはわかるけれど、その責め方は恐怖を煽るものです。

 

私がそんなに都会の奢侈に溺れ、ひどく贅沢をしていたでしょうか? 派手で軽佻浮薄な生活をしていたでしょうか。夢はそういっています。ひどくつましくはないでしょうが、普通のレヴェルだったと思います。

 

それなのに、どうしていつまでも、あらゆることを責め立てるのでしょうか。ずっと昔の、あの「追い詰められ感」を思い出すのです。

 

あの頃もあらゆるところに、サインが見えるようでした。今と同じです。