passed life

朝、まだ涼しいうちに買い物に行ってきた。品物は少ないながら揃ってはいるし。

 

いつものように、エレベーターを使って遠回りをしながら降りようとすると、遠くに清掃人の姿が。たぶん月初めは外回りだけでなく、棟全体の廊下などを掃除する日なのかもしれない。

 

迂回といっても、ケースバイケース、その時々で柔軟にやっていかないといけないな、と。

 

当然ながら、ここまで人を避ける暮らしに自分が陥るとは思ったことはなかったけれども。

 

土曜日の朝なので、道行く人々もなにかのんびりした感じ。何か約束があるのだろう、お出かけする人々だけが、足早に駅に吸い込まれていく。この駅は3階建で、スーパーは1階にあるので、この2、3ヶ月は階上にさえも上がったことはない。

 

スーパーは店が狭いせいもあるのだろうが、店の前に野菜や果物を並べていて、それがちょっとした活気を醸し出している。が、暑くなると傷みやすいのではないかと少し気になるが。

 

食べられないメロンやオレンジなどを横目に、お惣菜売り場へ直行。時節柄か、去年までよく食べた八朔のゼリー、ちょっと洋酒がきいていて、甘すぎず美味しかったものが

通路に並んでいて、ああ、もうそんな季節なんだな、と。

 

親族の虜囚になるという運命から逃れるためにやっているあれこれだが、買い物に出て、晴れ渡った空の下、行き交う人々を目にすると、彼らだってこころの中には鬱屈やいろんな悩みを抱えているかもしれないだろうけれど、いったい自分はいかなる理由によって、かくのごとき、劫罰のような暮らしを強いられているのだろう…と、ふと思う。

 

旅に出たときに、おともだちは私に「前世ってないのよ」と言っていたけれど、私はあると思う。というか感じる。

 

いわゆる「あなたの前世はこれこれです」というのはインチキ臭いと思うが、私は修道女だったことがあるというのはしばしば言われたことがあるが、それは当たっているような気がする。ただし不幸な亡くなり方をしたようである。

 

なんの前触れもなく事故で亡くなったり、あるいは大きな不幸に見舞われる人々がいるわけで、それから比べれば、近未来の災厄を避ける手段が、厳しいものとはいえ、与えられている自分は、感謝すべきなのかもしれないが…。

 

でも、しつこいようだが、もうちょっと早く、こうしたシナリオに気づかせてほしかったとしきりに思う。ヒーローの役割を負わされた実はスケープゴートの自分というリアルな自己像を。