私の夢はストーリーになっている長めのものと、断片的な生活レベルや危険を列挙するものと、だいたい二種類でできている。

 

長いものはだいたい一晩一本はあって、その他に細かいものがある。

  

夢のガイドは私に関して厖大な記憶を蓄えていてあれこれサジェストしたりするけれども、亡くなったあとに見せられるという厖大な記憶庫の走馬灯風な展開というのは、

そういうものの凝縮されたものなのだろうか。

 

ときどきは、これはpast lifeなのかなと思うような、全然私とは容姿の異なる私が出てくることも、稀だが、ある。

 

それらを振り返って思うのは、past lifeがあるにせよないにせよ、今の世もpast lifeも、ギルティネスというのが、世々を経て持ち越される一番の障害なのではないかということである。

 

もし罪を犯しても、たいていの場合、その人生で罰を受けるか、何かしているわけで、

それで完結していいはずだが、そこにひきずっている「思い」があると、「持ち越し」が起こり、関連する人たちや事象を再び引き寄せるといったようなメカニズムがあるのかもしれない、と。これは推測でしかないのだけど。

 

私が大量のゴミ捨てをしているように、そうした余分な「思い」自体は気づいたら捨てていくのがよいだろうな、と。 

 

Forgive myselfというか。