このブログに新しく書いた記事が読まれないとしたら、それは関心の相違だからということだろうけど、もうひとつのブログの閲覧記事リストの表示がされなかったのは、
推測だけど、私がおととい隣の駅のデパートまで行ったことが原因ではないかと思っている。ほぼ四ヶ月ぶりである。
これまでも、何度かルール違反をした「らしい」時に、表示されないことがあったけれど、でもそもそも何がルールなのかわからない。「たぶんこれはダメなんだろう」との推測でしかない。
おともだちは、たぶん、こういったことを私が延々書くことにもうウンザリしているのかもしれないと思う。でも誰にも言えないし、噴火寸前の火山のようで、ここに書くしかなかったのだ。賢いことではなかったかもしれないけれど。それほどもう自分はこの奇妙な生活が耐えがたくなっているのだった。
最近はもうガイダンスが何を言っているかも不明瞭なので、あまり従うということもないが、大原則だけは、守っている。
それは、温かい飲食をしないということ、カーテンをぴっちり閉めてテーピングしておくこと。
今まで処分したものはしょうがないし、モノが減ったのはよかったと思っているが、
今になって思うと、なぜ、あのように狂騒にあおられるように捨てていったのだろうと
思ったりもする。ものごとには自ずから限度というものがある。
今週になって、その限界がきて、ゴミ用にいろんなものをまとめたが、もう捨てる気持ちがなくなってしまった。これまで捨てたものに比べて惜しいものでも全然ないが、
「これがあることであなたの人生がこうなってしまう」みたいな夢ばかりで、いい加減うんざりしてしまったからだ。
ピンクのものがいけない、と言って、ピンクのボトルの洗剤のことまで言うにいたっては、もう本当に馬鹿らしくて。それにあんまりなんでも捨てては、着るもの自体なくなってしまう。それでデパートにも行ったわけだったが。適当なものは見つからなかった。
それに、「害のある品物」捨ててもまた戻ってきたりするらしく、それは自分の意識が執着しているからかもしれないが、そんなことまでいちいちコントロールはできない。
それでも、カーテンと飲食の問題だけは悩ましいのだが、「彼ら?」のいう、カタストロフが来るかもしれないが、いつまで続けるという期限があるわけでもなく、こんなことをずっとやっていたら心の病気になってしまうだろう。そろそろ、プリズンブレイクするときかもしれない。
「彼ら?」は私が母の牢獄に入っている囚人だと言っていて、それはそうなのだが、
そこから逃れる方便だったものが、今やそれ自体がプリズンになっていて、まるで
依存症の患者が治療で別のクスリを使い、今度はそれに依存するようなものである。
霊的な?世界とマインドコントロールは紙一重なのだな、と。