蛍光灯

梅雨があけて、さらに一層暑い日が続いている。

 

リビングの蛍光灯はここへきたときから備え付けのものだったのだが、昨晩、突然チカチカして蛍光管が切れた。

 

今朝、急いでスペアを買いにいって、大きなものなので自力でつけられるか不安だったが、やってみたら、大きなカバーが案外はずしやすかったので、助かった。

 

 

 さて、トランプ大統領が安倍首相夫人が英語が話せないと言ったニュースが話題になっていて、アメリカでは過去の夫人のスピーチの動画を引いて、話せないのではなく、

敢えて話さなかったのだ、という解釈をしているリベラル派のひとたちがいるというので、またさらに日本であれこれ言われている。

 

多分、トランプ大統領は最初にフロリダで会ったときに彼女が泥酔したので嫌いなのだという程度のことなのだろうと、私は思っているのだが。

 

それはともかくとして、どうして英語が話せないとしたら、そのことをいちいちあげつらわれなくてはならないのだろう。通訳だって後ろに控えていたわけであるし。

 

たしかに英語は現在たまたま「世界語」の地位にはあるけれど、アメリカ人の英語(米語)覇権主義みたいなものは、私は本当に嫌いである。

 

不思議なことに旧宗主国である英国は植民地をたくさん持っていたためか、それほど鼻につく、「英語ができないやつはだめだ」式の意識が薄いように思う。

 

日本の某女性テレビキャスターが高校時代にアメリカに留学したときに、言われた言葉をそのまま使って「あの子は英語が話せない」と題した本をずっと昔に書いていたが、

アメリカ人はじつに簡単に英語を話せない人を馬鹿にしたり、あげつらったりするところがある。

 

私もこの種の「いじわる」というか「ハラスメント」は米国人から受けたことはあるが、英国人からはないので、英米の対比は、少ないながらも経験値からいえることでもある。

 

アメリカ人がour countryというときは、どんなつまらない人間であっても、”世界に冠たる”という意識が透けてみえるので、それもいい感じはしない。

 

だいたい、ある言語ができる、ということはそんなに凄いことなのか。上達はほぼ学習時間と比例関係があるので、誰でも時間さえかければできることなのである。言語は重要だが、所詮ツールでしかないというものだ。