追想

19度ぐらいの気温の、いかにもお彼岸らしい、うらうらと暖かい日だった。春がくるのがほんとうに嬉しい。運動不足なので1時間ぐらい公園を散歩した。

 

ふと、また昔のことを思い出した。ときどき思い出すことなのだけど、ずっと昔の秋の日に、翁を訪ねたことがあった。

 

晩秋だったと思う。「入園者のひとたちがつくっている菊花展があるから、見に行きましょう」と、翁の家を出て、なにか古い木造の、校舎のような小さな建物に展示してある菊を見たのを思い出す。

 

体の不自由なひとも多いわけだから、ずいぶん上手につくってある、丈の高い菊の鉢植えが並んでいたが、もっと立派なものは他でいくらも見たことがあるわけだし、正直なところ、普通のできばえと言ってよいものだった。数としても、そんなにたくさん展示されていたわけでもなかったと思う。

 

療養所自体が寂しいところであるし、そのあまりぱっとはしない展覧会を見ると、なんだかますます寂寥感がこみあげてきた。

 

今でも覚えているのは、その近くに池か湖があって、それを見に連れていかれたことであった。その池もうらぶれた感じがして、弱々しい秋の光のもとで寂しげだった。自然の池というよりは、人造湖のような感じがしたが、ため池だったのだろうか。

 

翁のことを聞くために数年前に園に出かけたときに、この湖のことを入所者のひとに尋ねてみたが、もうなくなったのか、それとも、ごくごく小さなものだったのか、「はあ?」という返事であった。

 

菊花展の会場もおそらくもう取り壊されていたのだろうと思う、それらしいものはなかった。いかにも昭和を感じさせるレトロなものだったから。

 

もっと違う季節に出かけたこともあったはずだが、なぜか、このうら寂しい秋の日のことが記憶に強く残っている。

 

自宅での会話や出自への誇り、神話的にもなっている家系の話といった、東京で会う翁とは違った、「現実」に触れたせいかもしれなかった。

 

翁自身は別にそれを感じていたわけではないだろうが、私はなんともいえない、「うらさびしさ」を翁にも、園一帯にも感じたのだった。「わびしさ」といってもよい。

 

それにしても、なぜこの菊のことだけを妙によく思い出すのだろう。翁の誕生日が重陽節句だからなのだろうか。わからない。