名の日の祝い

2017年が始まった。お正月といってもとりたてて何かあるわけでもない私は、通常モードに戻った今日がとても嬉しい。

 

テレビは毎年同じような画面で、去年の画像を流しても、それと分からないだろうぐらいの、Uターンラッシュや、証券市場の始動、混み合っている神社などの風景をうつしている。

 

皆、家の近くの神社に参拝するのだろうが、今日のような仕事はじめには、また、職場の近くの神社へも参拝するようで、神田明神などの混み合う光景がうつされた。商売繁盛と書かれた、巨大な熊手を担いだサラリーマンなどがいて、驚いた。高価なものだと思う。

 

 私は、今年は、何事に対しても批判することをすこし手控えようと考えた。

 

今の日本にしても、世界にしても、おかしなことが多すぎて、言いたいことはたくさんあるが、それを批判したり、なんとかしようとすると、一向に変わらない政治や社会に対して大きなストレスを抱くようになり、心身を消耗させがちだからである。

 

コヘレトが、善人が報いを受けるわけでも、また、悪人が裁かれるわけでもない、みたいなことを言っていたと思うが、あれは現実の社会をよく捉えていたのだなあ、と、最近はつくづく思う。「だから、若い日にはうんと楽しめ」というようなことが続いていたと思う。

 

そういえば、すっかり忘れていて、ふと思い出した。今日は私の聖名祭りの日だった。アナスタシア聖人の小さなイコンがあるのだが、それと視線があって、急に思い出したのだった。