快晴の元旦

晴れ渡った元旦。朝の空気は寒かったものの、陽射しがたっぷり降り注いでいた。明日は暖かく、3月ぐらいの気温になるとのことだ。

 

こちらに住んで4月でまる3年になる。光陰矢の如し。もう3年も経つのか、と感慨深い。なんだか「人生仮住い」が常態になりつつある。

 

お正月は空気が澄んでいるので、今日は裾のあたりまで富士山がはっきりと見えた。

普段は上のほうだけなのだが。このあたりは高い建物が少なく、平野が続いているので、電車に乗っていると、富士山がいつも点景のように、建物の陰から顔を出したりするのである。

 

大人はあまり富士山が見えたぐらいでは騒がないが、なぜか私は新幹線でも、こちらのほうの普通電車でも、富士山が見えると、胸が高鳴り嬉しくなってしまう。

 

富士山に登ったのはずいぶん昔のことだが、今も家の玄関には、登山記念の杖(記念の焼印つき)が、防犯用具代わりに置いてある。実際に防犯用に使ったことはないが。

 

今年は、カレンダーも、北斎富嶽三十六景からとったもの。新年早々富士山づくしである。

 

今は昔と違って、お正月といっても、子供達が羽根つきやら、カルタとり(百人一首

競技カルタは盛んだが)、福笑い、すごろくといった古典的な遊びをすることはもうあまりないので、ちょっと寂しい。

 

羽根つきなんて、たいして面白くはないものだけど、あのカーン、カーンという音を聞くと、あ、お正月だなあと思ったのは、ずいぶん昔のことだ。しかし、よくよく考えてみると、私が育ったのは雪国なので、お正月はだいたい晴れてはおらず、そんな音を聞いていたというのはおかしい。

 

多分、映画やドラマのなかの音が、自分の体験にすり代わっているのだろう。

 

やはり、お正月の楽しみ、お正月が楽しいのは子供時代まで。大人にとっては、

一休宗純の「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」といった

ところか。でも、この「マイルストーン」、老若男女も関係なく、手持ちの数が決まっているわけでもないところが、公平というか、平等というか、興味深い。