Peter and Fevronia

駿河台のエントランスから入って最初の柱の一番左にかかっているイコンに描かれているのが誰かわからなかったと以前書いたことがあるが、それがようやく判明した。

ムーロム(Murom) のPrince Peter とPrincess Fevroniaという大公夫妻なのであった。

 

13世紀のことである。難病にかかったPrince Peterが夢でお告げを受けて、リャザンにいるFevroniaという娘が治療の方法を知っているといわれた。Fevroniaを招いて、病気を治してもらったPrinceは彼女と恋に落ちるが、農民の娘という、身分違いの結婚に周囲から反対があり、二人は国を去って放浪生活を送った。

 

彼らが去ったあと、国は乱れ不幸が続いたので、二人は再び呼び戻され、国を治め末長く幸せに暮らしましたとさ、というハッピーエンドだが、これは伝承物語とはいいながら、実在の話のようである。

 

しかも、Princeの病気というのがどうもハンセン病らしく、さらに、Fevroniaが養蜂家の娘という説もあり、薬草治療に長けていたようでもある。

 

二人は同日同時間に亡くなって、同じ墓に埋葬されたというので、ロシアでは西欧起源のヴァレンタインの代わりに、最近ではこちらのほうを「愛の祝日」として祝うらしい。愛、結婚、家族、忠節の守護聖人

https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_and_Fevronia_Day

 

このイコンも右端の柱のパラスケヴァも、昔は見なかったものだから、近年駿河台にはいったものだと思う。検索画像でぞろぞろ出てくるものより、シンプルで美しいものである。修道者として描かれているバージョンもあるが、駿河台のはFevroniaが王族装束でも、修道服でもなく、簡素だが女性的でよいと感じる。

 

ムーロムという、公国があったことも、また、現在のムーロム市のことも知らなかったが、モスクワから東へ300キロというから、東京からみた東北ぐらいの感じだろうか。珍しく、破壊されないで遺った聖堂が結構ある街のようである。夫妻の「遺徳」だろうか。

 

私はこういった「むかしものがたり」的な聖人伝はとても好きなのであった。

 

 

 

追記;もともと、もっと長い伝承物語があって、その一部であるようだ。

http://russian-crafts.com/russian-folk-tales/peter-and-fevronia-tale.html