今日は原爆記念日。朝から暑い日であった。71年前のように。テレビ中継を見ながらだが、鐘の音にあわせて、8時15分に黙祷。
時々はこの日が雨降りだったこともあるが、だいたいが今日のようにカラリと晴れた青空だ。
広島市長のスピーチはいつも言葉に重みと力があって感動するのだが、今年もそうだった。さらに、核兵器だけでなく放射能事故も含めた、核災害全般に言及しているのもよかった。問題は「進行中」なのだ。
それに引き換え、安倍首相は誰かスピーチライターが書いたのだろうが、ありきたりの、あまり真情を感じさせない型どおりのもので、虚しく響いていた。
子供達の平和の誓いも例年どおり、男の子と女の子が出てきてスピーチをしたが、
原爆投下時の生々しい光景にも言及し、これまでとちょっと違った印象があった。
早朝にも、学校で語り部活動をしているおじいさんがテレビに出て、以前は残酷な描写をすると気分が悪くなる生徒がいたので、建物の被害とか物理的なものに限定していたが、それだとやはり真実が風化してしまうと思い、最近は、被爆者が描いた絵を見せて、「爆風で丸裸になったひとびとが丸太のようにぎっしりと転がっているなかを、飛び越えて歩いた」とか、リアルに話しているという。
捕虜の米兵の被爆死者は長いあいだ米政府からも詳しい通知がなかったのを、まったくのボランティアで調べ上げた森さんというかたが、オバマ大統領が広島で献花をした際、紹介されてハグされていたが、その森さんは、爆心地、つまり直下にいたので、突然夜のように真っ暗闇になり、ものすごい爆発が起こったので、世界の終わりがきたと思ったのだそうだ。たしかにそう思うだろう。
しかし、そのときの具体的なことは辛すぎて、未だに語れないという。おそらく永遠に。それが、米兵捕虜の被爆死者探索に彼を向かわせたらしい。自分の平衡を保つために何かをせずにはいられなかったのだと思う。
夜はテレビで、トルーマン大統領は非戦闘員をターゲットにすることに賛成ではなかったが、軍部に押し切られたかたちになったことを、70年ぶりに見つかったという、当時の作戦担当の准将のインタビユーに基づいて解説された番組を見た。このテープはコロラドスプリングスの空軍研修施設のライブラリーに眠っていたという。准将はインタビューの三ヶ月後に亡くなった。
不決断のまま、ズルズルと押し切られたプロセスを解明していた。70年目にして顕れた真相。目からウロコが何枚か落ちた。