無名碑 その2

今日もまた梅雨のあけぬ、肌寒さと蒸し暑さが同居したような、お天気であった。

木々は緑に濡れて瑞瑞しいが、こんな雨の日には鳥たちはどこで雨をしのいでいるのだろう。ここの野良ニャンコたちは、多分、どこかの縁の下で雨宿りをしているにちがいない。

 

ずっとずっと以前、私がまだ美術業界にいた20代の終わりごろ、千葉の柏の画商さんのところへ絵を届けたか何かで行ったときに、この近所に正教会があるんですよ、案内してあげましょう、と、声をかけてくれた。何かの折に正教会の信徒であると話していたのかもしれない。

 

多分、季節は晩秋か冬だったのではないか。どこまでも平らな関東平野のなかに、枯れた葦の生えている大きな沼があり、それが手賀沼だった。教会はそのほとりにあるはずだったが、民家と葦の沼しかない土地で目印というものがいっこうになく、同じところを何回もぐるぐる回って、民話に出てくる「けっしてたどり着けない家」のように思われだしたころ、ようやく一軒のしもたやの前に出た。

 

本当に、普通の民家だったので、意外でもあった。古民家のようなとりたてて立派なつくりでもないが、どことなく品格があり、綺麗に手入れされている印象はあったが。

 

が、なかに入って驚いた。まるでお寺の小さなお堂のような畳敷きの座敷の奥に、

燦然とイコノスタスが輝いていたのである。

 

実際にそれが黄金色だったのかどうかはわからない。が、とにかく、鄙びた田舎家の、しかし、信徒の手で手厚く守られてきた、禅寺のように塵ひとつないすがすがしい座敷の果てに、「神へと続く道」のようなイコノスタスが突然あらわれたのであった。

 

私があまりにも感動しているので、連れてきてくれた画商さんも嬉しかったようだが、

今なお、あの衝撃を忘れることができない。「隠れ里」めいた、また、ありそうもないところからあらわれたために、「顕現」そのものというか。

 

それは、ある意味、啓示、revelationといってよいのかもしれなかった。心、もっといえば、魂に刻印をのこしたという意味で。日本的霊性というものを肌で感じた瞬間だった。

 

神父もあまりやってこない、片田舎の小さなお堂。だからこそ、篤信のひとびとが、我が家のように手をかけ、守ってきたのだろう。それゆえに、その小さな座敷は、

空間自体が光を放っているのであった。

 

記憶のなかで、ビザンチンのドームにも負けぬ、黄金の光を放っている旧手賀教会。

もうひとつの善男善女による無名碑。