人形の帯に

昨日は20度を超えた初夏のような陽気だった。半袖姿で子供達が遊んでいた。南からの湿った風で、空気はまさに春の、植物が萌え出づる頃の匂い。甘く、少し埃っぽく、柔らか。

 

今日は一転して、10度以上気温が下がり、真冬の陽気。せっかく開きかけたゼラニウムも縮みあがっていそう。シクラメンの花がだらんとしてしまい、あれこれ試みているのだが、なかなか回復しない。

 

午前中は満州国についてのルポルタージュを読んでいた。各国の中国への食い込み方の思惑がすごくて、今更のように驚く。ロシアは東清鉄道を敷設するに際し、鉄路に沿って「鉄道付属地」という占有地をつくってもよいという条項を、清国との契約に設けた。そもそも鉄道の敷設も、日本へ三国干渉をして遼東半島の還付をさせた見返りとして、鉄道を引くことを清国に認めさせたわけであった。

 

しかし、日露戦争で勝利した日本は、そのロシアから今度は、鉄道の経営権を譲渡させ、「鉄道付属地」の概念をさらに発展させて、鉄道の警備を理由として、付属地に兵力を貼り付けることを強引に清に認めさせた。さらに一枚上手であった。

 

そうした鉄道守備隊がのちの関東軍となっていく。そうした歴史の経緯を初めて知って驚いた。

 

日本に協力した中国人、いわゆる漢奸として処刑されそうになった、山口淑子李香蘭)が、親友が送ってくれた日本人形の帯に隠された、日本の戸籍書類によって、日本人だということが証明されて、危うく難を逃れた話など、驚くことばかり。帯に隠すというのはよくあるけど、まさか人形の帯にとは。

 

パパ・フランシスとキリル総主教が会談したことが話題になっているが、こうしたシヴィアな歴史の話を読むにつけても、こんなことは「政治ショー」に過ぎない(シリアのキリスト教徒保護という目的はあるだろうが)と感じる。

 

2月初めに、ニコライ二世の侍医として、ともに亡くなった・エヴゲニイ・ボトキン博士がロシア正教会で列聖という記事を見かけた。

Доктор Евгений Боткин прославлен в лике святых | Православие и мир

 

(経緯;

The Orthodox Church is considering the canonization of Leib-medic Nicholas II | Last news from Russia  <なぜか、この件には英語の記事がほとんど見当たらなくて困る>

 

最初、つるつる頭の厳しい顔の軍人のようなイコンをネットで発見したときは、「レーニンが聖人になったのか!」と思うほど、どことなく面ざしが似ていて、驚く。実際は、ボトキン医師だったわけだが、こういうのを見ても、列聖といっても都合よく利用しているような気がしないでもない。

 

というのは、ボトキン医師の息子、グレブ・ボトキンは、アンナ・アンダーソンの一貫した支持者、援助者だったからだ。当初は彼女を本人と認めた親戚たちが、その後手のひら返しをするなかで、生涯にわたってアンナを支えていた。

 

普通に考えると、グレブは子供の時からずっとアナスタシアと育ったようなものだったから、彼が支持しているというだけでも、かなりの信憑性があるわけである。しかも、相続関係とか、利害に関わらない間柄。それを考えるだけでも、アンダーソン問題は実は「世界の大きな闇」とつながっているのが、赤ん坊でも分かりそうなものであるのだが。

 

それで、グレブについてネットで調べていたら、興味深い点が二つあった。ひとつは、日本にいたことがあることだが、これは聞いたことがない。ただし、ニコライ皇帝でさえ存命説のなかに、隠れ先として日本にいたこともあるという説さえあるから、おかしなことでもない。

 

もうひとつは、革命からの避難の途上で、正教会の聖職者の身勝手な行動を見たグレブが正教会を離れ、のちに、アフロディーテーの教会という、ネオペイガニズムというか、フェミニズム的な教会組織をつくって長になっていることである。

http://www.zoominfo.com/p/Gleb-Botkin/1248680092

 

とても興味深い。

 

草津翁の義父の画家も、最後は、ニューヨーク郊外の、そうした新宗教的なコミュニティーで暮らし、亡くなって、火葬された。ただし、残念ながらコミュニティの名前は知らない。もしかして、そのアフロディーテーだったら、面白いのだが、そうしたものはきっとたくさんあるだろうし。

 

アンナ・アンダーソンも自ら神智学を信奉していたし、流浪時代の保護者はだいたい神智学系のひとたちだった。彼女のおった心の傷を考えると、正教会を離れるのはむしろ自然なことだったろう。スピリチュアリストということだろう。そしてやはり火葬された。

 

メディアが歴史的会見などと、カメラのフラッシュの音もかしましくさかんに報道しているわけだが、歴史の真実はいつもひっそりと埋もれている。

 

私が習ったギリシャ語の教科書は第一ページが、

オイノス・アフロディーテース・ガーラー、というものだった。

 

ここだけはよく覚えている。ある意味、「酒に真実あり」という諺にも似ている。