オルフェオ

列島はまた冷え込んで、明日は首都圏でも雪になる模様。夕方になり、寒さが増してきた。

 

池田理代子氏の長編漫画「オルフェウスの窓」をざっとだが再読した。

 

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昔読んだときは、ドイツ南部のレーゲンスブルクの音楽学校の窓の伝説や恋の数々が印象的で、予想外だったのが、舞台がロシア革命に移っていくことだった。

 

当時のコミック版で18巻もあったからたいそう長いのだが、音楽学校や薔薇の咲き乱れる町の印象のほうが強かったのだが、再び目を通してみると、史実も踏まえながら、とある殺人と長い長い年月をかけた復讐劇にもなっており、人間の情念や運命について深く考えさせるものでもあった。

 

「マーガレット」や「セブンティーン」の読者の年齢では、まだ消化するのが難しいものだったかもしれない。

 

今回、改めて目を見張ったというか、感動したのは、作者の芸術観が無数に散りばめられている点である。芸術に身を捧げるということについてのさまざまな葛藤や苦しみ、喜びなどが、漫画ならではの自由さで、サスペンスや恋物語と相俟って、展開されていることに感銘を受けた。

 

また、池田氏の絵柄や小道具の選択は実に巧く、カーニヴァルの仮装の夜に主人公のユリウスを襲う仮面の男がいるのだが、その仮面も、いわゆるヴェネチア風のものなどではなく、ギリシャ悲劇の恐怖の仮面をつけていたりする。その仮面に表情さえある、巧さ。

 

30年以上前に読んだものなのに、この仮面の絵柄のあたりはコマ割りまで実によく覚えていて、自分でも驚きだった。当時もきっと衝撃を受けていたのかもしれない。

 

それと、記憶をなくしたユリウスがロシアから再びレーゲンスブルクに帰ってくるのが最終巻だが、失われた記憶を喚起させそうになるのが、アンナ・アンダーソンが皇女アナスタシアであると主張していることを報じた新聞記事なのであった。そして、その箇所で、ユリウスの事情通の友人が、これが大々的に問題になっているのは、ロシア皇女たちの持参金が、英国をはじめとする欧州のいくつかの銀行に預金してあり、その帰趨があって、騒がれているのだと解説している部分があったりする。

 

当時、いや、今でも、この点をことさらに言うひとは、あまりいないのではないか。おそらく、これが、アンダーソンが偽物とされた一番の理由であるにもかかわらず。

 

そうして、ユリウスが18歳になったら開けることができるフランクフルトの銀行のとあるボックスの鍵というのがあるのだが、それも、ロマノフの財産と関係しているようにも匂わせてある。結局、それは明らかにはならないうちに、物語は終わるのだが…。(フランクフルトと言えば、ロスチャイルド銀行の重要拠点ではなかっただろうか。)

 

私は「ベルサイユのバラ」は読んだことがなく、池田氏の長編では、「オルフェウス」と、あと、ポーランドの革命を描いた「地の涯まで」しか、読んだことがないが、

その複雑なストーリーテリングとサスペンス、芸術論などの点で、これはやはり一番の傑作ではないかと思う。ロシア革命の見方については、賛同できないのではあるが。

 

芸術や恋愛についての、ここまでロマンティックな扱いは、もはや21世紀の今では生み出し得ないものだろうと思う。若いときにこれを読めたことは幸福だったのかもしれない。