さむい

風は寒いけれど、陽射しが暖かい、天皇誕生日。町はクリスマスの飾り付けや食料品の売り出しでごった返している。私はずっとひとりだから、今日はオーガニックな食料品を売っている町まで、3、40分電車で出かけた。

 

だが、途中で具合が悪くなった。なんだか分からないが、最近のことから昔のことまで、失業してからのちのいろんなアーギュメントや元同僚に対して多大な我慢をずっと強いられていたことや、たいそう失礼な大学の同窓生などなど。

 

振り返ってみれば、無理してそう思わないようにしていたけれど、苦しかった北国での生活。

 

何が原因か分からないが、激しい憤りで、呼吸が苦しくなるほどだった。

 

クスリを飲んでなんとかことなきを得て、買い物を済ませて帰宅した。

 

そのあとは、長らく飲んでいなかったお酒、スパークリングワインだけど、を、飲んで、少し泣いた。

 

いろんなことで、自分の気持ちを抑えてきたので(子どものころからだったのかもしれない)、とうとうそのタガがはずれてしまったのかもしれなかった。

 

このブログを書き続けるのも、大切なお友達とこれっきり、で途切れてしまうという怖れが書かせているところがあり、正直、書くのが辛い部分もある。

 

以前のブログのように楽しんで買いているのではない。目的化しているからだ。

 

直接連絡してはいけない、と言われたからそうしているわけだけど、無言電話で話しているようなもの。

 

もちろんこちらから連絡はしないが(私には詳しい事情が分からないので)、本当にそんなにリスクがあることなのだろうか。

 

これまでも、何か齟齬があると、急に「連絡はダメ」ということになった。外的要因のときもあったのだろうが、それだけでもないのでは?

 

もちろん、お友達のことを信じてはいる。ずっと、信じ続けてきた。けれど、本当のところはどうなんだろう。そちらのお友達にも連絡をとってみたが、何かおかしいが、様子も分からない、と。

 

嘘を言っているというわけではない。けれど、本当のところを知りたい。いったいどうなっているのか。

 

こういう「やりとり」をしていることが、お互いにとって果たしてよいことなのだろうか?