真実は…

こちらは寒いけれど快晴が続いているが、北日本を中心に大荒れの低気圧の襲来。テレビを見ていて、昨年体験した「地吹雪」を思い出す。光をいっぱい浴びてゼラニウムに水やりをしていると、豪雪の地方がまるで嘘のように感じられる朝。

 

久々に寝食を忘れるほど、めりこんで小説を読んだ。ジョン・ル・カレの最新作「繊細な真実」。原題も、The Delicate Truth.  

 

ル・カレの小説は晦渋なところがあって、最初の三分の一ぐらいは、読者にはよく分からない状況でいろいろな人物が出て来たり、しかも、事件というよりは、含みの多い会話が多く、私も有名な旧作は途中でギブアップしていた。スパイ小説というよりは、文学に近く、まだ、グレアム・グリーンなどのほうがテンポが早く、ストーリーも掴みやすい。

 

敬遠していたル・カレだったが、この本には「打ちのめされた」。例によって、最初のうちは、定年間近な初老の英国外交官キットがジブラルタルでの秘密の任務をおおせつかり、野鳥観察が趣味の統計学者に偽装し、国益のための対テロ作戦で、大臣の文字通り「耳目」になることを命ぜられるが全容は不明で、その作戦の存在は永久に口外することはならない。

 

その後キットは「論功行賞」で、カリブに「栄転」、爵位もさずかり、三年後、めでたく、田舎で年金生活に入り、村の名士となり、カントリージェントルマンを地でいく生活となるのだが…。

 

実は、この作戦そのものは「やらせ」であり、民間の防衛産業が外務省の上層部と結託してつくりだした虚構であり、しかも、そのプロセスで無関係の現地人の母と幼児を誤って殺害していた。が、もちろん、作戦は「成功した」と、キットは思わされていたし、ましてや無辜の犠牲者がいたことは知らなかった。

 

その真実が、だんだん明らかになっていき、病身の妻や医者の娘も、「三年前」に何があったのか真実を話すように迫る。

 

それは、彼の住む村の祭りの仮装フェスティバルでのこと。キットは、祭りの屋台の片隅で、記憶の底から上がって来たような、不吉な男を眼にする。それは、秘密任務の指揮をとっていた特殊部隊のチーフである勇敢な兵士であったが、すっかりうらぶれて、革の細工ものをつくる行商人になっていた。男は彼を「偽名」で呼ぶ。過去からの亡霊のように。

 

男は作戦の偽りに気づき、また、母子を殺した良心の呵責のために、半ばこころを病んでいた。彼の口から全貌を知ったキットの生活は怒りのために、もはや平和なものではなくなっていく。

 

この小説には、義憤に駆られて行動するひとが、キットのように短兵急かあるいは計画的なものかは問わず、登場するが、私が驚いたのは、日本でもひょっとしたら同じようなことがあるかもしれないが、このように、良心の呵責や義憤で、損得勘定を抜きに行動してしまうような人間がいるだろうか…ということであった。

 

これは純文学の世界に近い。とくに、村祭りでかつての任務仲間の姿を認めるあたりの心理描写は。どこか視野の端っこに気になるなにかがひっかかり、急いでそれを打ち消そうとし、また、姿を見、それが現実となって迫ってきて、世界の様相が一変するあたりの描写は…。ブライズヘッドの主人公のような仮装のキットと、ワゴン車の流浪職人との対比…。こころに蔭が指す瞬間。

 

「裏切られた」と思った彼らの「怒り」は分かるものの、その怒りが激しくて、少し当惑したのだが、インタビューなどを聴いてみると、それはル・カレの怒りそのものだ、ということがよく分かった。それが投影されているのだ。

 

ル・カレが勤務していたころのMI6は予算も限られており、そこには「大義」があったが、イラク戦争以降、「嘘」と巨大化した民間防衛産業に浸食されてしまっていることに、彼は激しく怒っているのである。

 

映画で見た、「ナイロビの蜂」も、そういえば、ル・カレが原作で、アフリカで跋扈する多国籍製薬会社の闇と闘ったアクティヴィストの女生とその夫の外交官の話だった。(映画はヒロインがミスキャストだったが)

 

「繊細な真実」も「ナイロビの蜂」も、どちらかと言うと、穏やかで静けさを好む普通のひとが、不正に気づいて、怒りを持つようになるというところが似ている。「ナイロビ…」の方は、原題がThe Constant Gardenerというのだが、夫の外交官はガーデニングが趣味の静かな男である。

 

また、どちらにも共通しているのが、ある人が自分に向けられた愛情の深さを、その人の死後に知る、といった筋書きになっているのも、趣深い。男ー女、の場合もあり、男-男の場合もまたある。時を経て顕われるもの、というのが、ル・カレが好むものなのだろうか。

 

考えてみると、英国の諜報部は膨大な作歌群を生んで来た。グレアム・グリーンサマセット・モーム、ロシア関係を読んでいたら、「ツバメ号の…」アーサー・ランサムもそうだし、女性では、ミュリエル・スパーク、ミステリーのP・D・ジェイムズなんかもそうである。アガサ・クリスティーも諜報ではないが、戦争中に看護師をした体験から、毒薬に詳しくなったそうだし。

 

そういう経歴が、人間を見るのに、その光と影の彩なす面に、敏感になったのかもしれない。

 

そうしたなかでも、ル・カレには作風の深まりのようなものをことさらに感じた。かなり高齢なはずだが。

 

そういえば、T翁の病気の判定をしたのも、スパイだったと言われる偽医者のSだし、このひとなんかは、国籍も経歴も、名前も何回か変えているし、T翁の義父にもそんな説がある。世界を旅した画家だもの…。スケッチのなかに、タンジールとか、エキゾチックなところがいろいろあったなあ。