ターキー

気温は高いけれど、雨模様の一日だった。今日の夜からは全国的に強い冬型の気圧配置になって、日本海側は暴風、降雪に注意とニュースで連呼。それで、北国で経験した視界ゼロの地吹雪を思い出した。

 

時々、ジャパンタイムズを買って読んでいる。本紙だけだとダメで、抱き合わせでないと売れないのか、NYTの国際版がついている(だから高い)。インターネット時代に日本人は英字紙をわざわざ買わないが(かつては勉強のために買っている購買層がいた)、日本語を読めない外国人が基本情報として結構読んでいるらしい。それら日本の英字紙が彼らの一次情報になっているようだ。

 

JTは植民地新聞などと陰口を叩かれてきたけれど、私が英字紙を好きなのはなんと言っても報道写真がシャープで美しく、広告が少なく、傾向や嗜好はともかく、書評などの批評のレベルが高いことだ。

 

ただ、このNYTの国際版のほうはかなり字が小さく、読むと目がかすんでしまうので、

興味のあるものだけいくつかを、飛ばし読みをする。

 

先週買ったものをパラパラ見ていたら、七面鳥の挿絵が目に入った。感謝祭に関して韓国系アメリカ人のコラムニストが書いた記事が載っていた。

 

両親は北の体制の酷薄さが予想される時点でいち早く渡米し、父親がミネソタの炭坑町で医師として働き(医師免許はどうなっているんだろう?)、それはあまり誰も行きたがらないところなので、職があったというわけだが、永住権の更新を失いそうになったり、さまざまな苦労をして、子供たちを育て上げた。彼らの家の感謝祭はまったくのアメリカンスタイルで(朝鮮にも収穫祭のようなものはあるが)、それは、アメリカ人になりきろうとする、両親のリコミットメントの季節だった、という話である。

 

それはそれでよく分かるし、興味深い話だったが、はじめのほうの、両親の子ども時代について、さらりと、「残虐な日本占領下で」と書いてある。

 

おそらく、これを読む日本人は少ないだろうし、読んでも気にならないひともいるのだろうが、全文を読むと、この韓国系の女性(コロンビアでライティングを教えていて、小説も書いているそうだが)は自国の歴史をどれぐらい知っているのかな…少なくとも、文章を書くようなひとが単純に「ブルータル」などという、言葉を使っていいのかな…と感じた。

 

占領下で辛酸を舐めた…という表現とか、いかようにでもできるはず。日本の占領を正当化しようとは思わないが、当時の朝鮮では、露中の支配下に入ったり、あるいは、両班の横暴よりは日本のほうがまだまし、という選択という面もあったと思うのだが…。歴史はそんなに単純ではない。

 

NYTの編集やデスクも共通の認識なのだろうけれど…。こういう、ひとつの「形容詞」で片付けられるのはよくない気分だ。

 

論争になっている問題だと、少なくとも両論が争うこともできるが、こうした日常的なエッセイで、こともなげに「蛮行」というふうに書かれてしまうことのほうが、ある意味怖い気がする。ミニミニ・プロパガンダというか。

 

七面鳥の挿絵も、小さい字のクレジットを読むと、韓国系の名前のようである。意味がよく分からない四コマの、七面鳥に伸ばされた箸と手、別のコマでは七面鳥のほうへ伸ばされたフォークと手、あと二つは、細かい肉の山なのか、私には意味不明な絵柄。なんかジョークがウィットか、ひょっとしたら皮肉があるのだろうが…。

 

自分もそうだけれど、日本人はそうしたものが苦手。直球がいいと思っているところがある。

 

目指すは、ダウントンアベイのヴァイオレットおばあさまとイザベル・クロウリィ夫人のあいだに飛び散る火花とか、姉妹達のあいだの皮肉の応酬。そういうのが巧くなるといいんだがなあ…。