世界晴

到来する前から騒がれていたスーパー台風19号、海外ではヴォンフォンと言われているようだが、の過ぎていった関東平野の朝。たしかに昨晩真夜中ごろの降雨は尋常ではなかった。家のベランダの雨樋もゴーゴー音を立てて流れ、ベランダ下のときどき猫がやってくる原っぱも、暗いなかで遠目だが、水が流れていた。

 

でも、少なくともここ武蔵の国では、早く雨も上がったようで、朝起きてみたら、リヴィングに燦々と陽光が射しこみ、真っ青な空が広がり、日本晴れを通り越して、世界晴れと言ってもいいぐらいの快晴。

 

ただ、台風の「吹き返し」のせいだろう、暖かい風が強く吹いて、桜の落ち葉を吹き上げている。まるで鋭い口笛のようなヒューヒューという風の音も時折聴こえる。「嵐が丘」を連想させるような。

 

私が台風のような風が好きなこともあるけれど、台風の過ぎたあとは、何か磁場や空間、位相が別次元に移ったような爽やかさがある。

 

もちろん被害が甚大な場合はそんな風には言いがたいのだが、今日、燦々と日が照るベランダに立って感じたのは、これはアジアモンスーン気候帯に住む私たちにとって、慣れ親しんだ光景だということだ。

 

雨や風が、よいものも、悪いものも、あらゆるものを一掃していく、天の筆のひとはけといったような。

 

日本民族は、そうした自然の猛威に上手につきあって、人生観をつくってきたと思うし、元寇のように、それに助けられることさえあった。

 

今回の台風については、上陸する前から、「最大級」とかの形容詞がつき、ちょうど三連休ということもあり、JR関西方面では、もう前日から、翌日の午後早くから在来線の運休をいちはやくアナウンスしていたし、たとえば、熊本県の人吉などでは、早々と全市域に避難勧告が出されていた。

 

全市というと、そんなに収容できる場所があるのだろうか、過剰警戒ではないかと強く感じた。

 

私の住む街のおばさまがたも、お店の立ち話などで、「まったく、毎回毎回大騒ぎでたいしたことはないんだから」と今や腹立ちの雰囲気が濃厚である。

 

それは昔と違って報道というものがあるせいもあるが、最近、濃厚なのは、行政などの官僚的マインドというか、失敗や譴責を怖れる傾向も影響していると思う。

 

また一般市民も、やっぱりこれだけ「たいへんだ、たいへんだ」と言われると、よほどのことがない限り、外出を控えたり、予定をキャンセルするひとも多かったのではないかと思う。私はこうしたマインドのほうが、台風の被害よりむしろ心配だ。自分自身がそうであったし、まだそういう部分が残っているから。

 

とくに震災後だろうと思うのだが、地下鉄などもしょっちゅう車両点検、信号トラブルと言っては、止めてしまうことが多い。御嶽山の噴火も、紅葉の土曜日といった悪条件が惨事をよんだわけであり、あらゆる災害に準備万端にしていたら、日常生活も創造行為も機能しなくなってしまう。

 

良寛様ではないけれど、災害に遭うときは遭うがよろし、でないと(もちろん常に対策はそれなりに考えるとしても)、生きていることのプライオリティが逆になってしまうのでは、と、感じる。この数年ジタバタ走り回った自分の経験からの切実な実感だ。

 

ただし、一方では、こうした危機を煽るような過剰報道や避難勧告、交通機関の麻痺が、自然災害を背景に別の意図でなされているという見方もある。実際、いろいろ腑に落ちない面もないではない。それは冷静に観察しなければならないだろう。やっぱり自分が「直接見聞きした」「感じた」ことが一番だ。

 

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…しかし災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。

死ぬ時節には死ぬがよく候。

是はこれ災難をのがるる妙法にて候

 

         良寛   

 

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