今日も蒸し暑い日が続く。早く涼しくなってくれるとよいのだけれど。

 

結局、せっかくの大好きな夏なのに、どこへ行くということもなく、終わりそうなのが残念だ。去年もそうで、北国ではどこへも行かなかった。「詩人の運命」を100枚書いたのが唯一の北国での成果(とまでも言えないほど少ないが)。

 

北国へ行く前にこちらの教育関係の仕事はやめたことと、急にやめたためにあまりよいやりかたではなかったので、今更、また頼むというわけにもいかず。また、大学の後輩から紹介された仕事だったわけだが、報酬があまりに少なく、それはシステム上の問題なのだが、他は主婦ばかりなので、その「搾取の構造」が全然わかっていなかった。

 

まあ、そうした目を酷使するような仕事に復職するのも年齢的にも先が無いと考えて、積んだり崩したり。要するに、はっきり言えば、経済的にはこのままでは早晩立ち行かなくなるというのが目下の大問題なのだ。

 

人脈があっても、仕事が見つかるわけではない。それは6年前から、いやというほど味わわされた。皆「聞いてあげる」と言いながら、結局はダメだった。というより、よくよく聞いてみると、最初からそんなに真剣に頼んではくれていなかったようでもある。

 

そんな私のこころを一番打ち砕いたのは、私の書いた美術エッセイのコンセプトも使って本を書き、一躍美術本界のスターになった友人である。私が本をもらったとき、「あの絵について書いたのね」と言うと、「あなたのは見ないようにして書いたから」と言ったけれど、それはそのまま「借用した」ことを物語っていると思う。さらに、子どものときに読んだ本の話をしていたら、それがちゃっかりタイトルになっていたり、枚挙にいとまがない。

 

今度は、美術全集の編集委員にまでなるらしい。いろいろ因縁があるようで、血縁からいうと父のいとこにあたる某作家(物故した)が絵について書いたエッセイ集があるのだが、彼女のデビュー作はそれと同名で、タイトルは盗作とは言えないだろうが、あるとき、北国の図書館で、「盗作の文学史」という本とその作家の本が並んでいたのには、偶然とは言え、鳥肌の立つ思いがあった。

 

こんなことは業界では珍しいことではないのだろうが、されたほうは本当に腹立たしい思いでいっぱいである。あちこちから集めて来たものをおもしろ可笑しく書くのがウケるという日本の出版界だから、それに見合っているといえばそうなのだが。とくに、私から借用した部分を読んで「泣いた」とかアマゾンで読者が書いているのを読むと、何とも言えない気分である。

 

今、せいぜいできそうなことと言えば、自宅で勉強を教えるぐらいのことだろう。あまり興味はないけれど、生きていくためには仕方がないかもしれない。

 

かつて父の死後、妹がのらりくらりと捺印をしぶり家の相続登記がいつまでたってもできなかったことがあって辛酸を舐めたので、家を売って北国へ脱出したことは正解だったと思うが、今、ここへ還ってきてみて、高齢になって貧しい生活をすることの大変さを感じる。日本というシステム自体がもっと早く崩壊すると思った、私自身の「誤算」もあったのだけど。

 

どんな理想を語っても、生活ができなければしょうがない。