象徴と夢

今日も不安定な天候。午前中は晴れの予報だったので、隣の駅まで買い物に行った。お昼頃建物から出てくると、カフェのウッドデッキなどがびしょ濡れ。そこで、雨が降ったことに初めて気づいた。

 

さて、前回の「杞憂」だった夢だけれど、正確には2010年の時の記念日に見た夢で、お葬式の知らせというもの。午後4時だから、間に合わないし、どうしようと私は思い、だいいち、私はよばれていないので、行けるはずもない、という夢だった。

 

それで、いろいろ胸騒ぎがしたわけだけれど、今日、ふと、あれは「象徴」として解釈すべきなんだな…と思い当たった。肉体的に死ぬ、という意味ではなくて。

 

というのは、震災のあとだったか、自分が仏壇に入る夢を見てぎょっとしたことがあるが、それは家族との力関係で、「いつまでもそういう風だと死んでいるのと同じになりますよ」という警告だったんだろうと最近になってやっと思い当たったのだった。

 

だから当たり前だが、それらの夢は実際にそうなったことはほとんどなく(回避するから)、いちいちぎょっとすることはないのだけれど、やっぱり仏壇に自分が入るのはいい気持ちではない。

 

ただし、象徴はとても個人的で、夢の辞典などを引いて分かるというより、自分のいろんなツールを使って表現されているので、本人が一番よく分かるのだと思う。

 

この水曜日の夜に風邪だかなんだか、極端に食欲もなくなって、気分が悪くなったのだが、それが何のせいかよくわからなかったのだが、その頃見た夢が、だいたいベジタリアン料理に関するものだったりしたので、水曜日のランチに普段あまり食べない「牛すじ肉のシチュー」を食べたせいではないかと考えたりした。(証明できないから、確定はできないけれど)。ドミグラスソースがとても美味しかったのだが…。

 

その少し前に、お坊さんがベジタリアン料理の説明をしている夢を見たり、また、今朝のは、トラックの運んできた肉の周りに食肉解体業者が群がるという、ちょっと気味の悪い夢で、そのあとは畑で作物をつくっているというものだった。

 

夕方のテレビで、ハラール料理の和食の店が開店したとか、大学の食堂でも、ハラールメニューが出るところもあるという報道をしていたが、肉というものを考えると、やっぱり屠殺するときに動物を苦しめていることになるから、ハラールやコーシャのように、お祈りをして、「有り難くいただく」ということが、肉食の場合、ひょっとして必要なのかも…と考えたりした。

 

こうしたユダヤイスラームの習慣は私たちから見ると前近代的なのだけれど、案外と霊的(動物も含めて)な次元で理にかなっているのかもしれないな、とか。

 

どちらにしても、肉類は最近は成長ホルモンなど各種ホルモン剤などが動物に投与されているらしいから、いろいろ芳しくないものが入っているんだろうな…とか。

 

まあでも、マクドナルドに行っても具合が悪くなったことはないので、これは単なる体調不良やストレスのせいかもしれない。北国にいたときもよくこうした症状が出ていたから。