小説家の息子

衣通姫軽皇子」を読みたくて、また図書館へ行ったのだけど、三島全集はさすがに人気が高くて借り出されているようだった。旧版の三島全集もあったので、それらを探していて、面白いエッセイを見つけた。

 

「小説家の息子」というタイトルで、長男が生まれて二年ぐらい経ったときに書かれたものである。先に生まれた娘のほうは、どうせ他家に嫁すのだから、そこでそれなりにやっていけばよいけれど、息子の職業観が心配だ、という内容だ。

 

「小説家であるお父さんは」、他の家とは異なり、会社に出かけるということもない。実際、娘さんは「どうしてパパは会社へ行かないの?」と小さい時に訊いたそうだ。そういった特殊な環境で、息子が社会との関わりや健全な職業意識を持つことが難しいのではないかと心配しているのである。

 

まだ二歳の子供の将来を心配しているわけだから、微笑ましくもあるが、そこで書かれていることはまことに正論であって、つまり、小説家ほど不安定な職業はなく、まったくの個人プレーであるから、家業として継承できるわけでもなく、一見成功して経済的には羽振りがよくても、同程度の実業家の家であれば、顧客や人脈、資産の継承などもありうるが、そういったものもないシビアな現実を指摘している。

 

このエッセイに遭遇したのも不思議といえば不思議で、最近、三島の息子さんはどうしているのかしらと考えていたところだったのだ。といっても、実際に知っているわけではもちろんない。

 

ずっと昔、キャンパスで、付属小学校の生徒である彼を、「あの子が三島の息子よ」と誰かが言ったのを覚えているのだ。遠目に見たので、制服姿の他の子供たちと同じようにしか見えなかったのだが。

 

そして、父親の心配は杞憂ではなかったようだ。彼は小説家にこそはならなかったが、普通の意味での職業生活をしなかった。三島の没後、母親と宝石店を経営したが、それも長くは続かなかったらしい。今はだから、元実業家という肩書きである。もちろん、著作権継承者として生活には困らないのだろうが。

 

このエッセイは「息子には小説家になってもらっては困る」というのが主調音で書かれているのだが、その心配すらどうもなかったようである。その意味で、父親としての気概と不安が投影されたこの文章は、明るく書かれているものの、今となっては、かなり切ないものだった。

 

ところで、この文章は三島家の問題をあぶり出しているだけでなく、私にもインパクトがあった。実際、「書く」ということは業の深いことなのかもしれない。

 

私がふと思ったのは、私が「書く」ことに執心していることこそが、周囲を不幸(というのも大げさではあるが)にしているのでは、という「気づき」であった。

 

なぜ、そんなに書きたいかと言えば、書いていること自体が私にとっては最高にこころ躍ることであり、何かを的確に表現できたときの、宝石の断面のようなクリアな気持ちよさ、みたいな、「まさにしかり!」といった感興が何ものにも替えられないということがひとつある。「おさまるべきところにおさまる」という気持ち良さといったらよいだろうか。評価される、されない、以前の、これは快楽なのである。

 

とはいえ、私が書くことに妙に執心する時は、何らかの不安があったり、生活の不安があったりする時が多く、それはよく考えてみるとまったく論理的ではなく、生活の糧を得るならもっと現実的で的確な仕事がいろいろあるはずなのである。なので、これは、一種の強迫観念ではないかと、自己分析する。

 

最後のひとつは、長年編集者をやってきて、ひとが「書く」ことの世話ばかり、いわば黒子としてやってきたフラストレーションがあると思う。これは世間によくあるパターンで、実際に編集者から作家になったというひとも多い。

 

いちばん厄介なのは、二番目の、「私にはこれしかない」(まあ、実際に他にできることがそんなにあるわけでもない)という思い込みである。しかも、成功確率が低い分野でこうした思い込みをしていることは、客観的にみれば危険なことであろう。

 

まあ、それやこれやで、いろいろ思うところがあった。やはり自分にいかに書くことについてのパッションがあっても、それが外部から求められていなければ、つまり、ニーズがなければ、生業としては成り立たない。悩ましいことである。

 

しかし、自分がやりたい、と思ったことを諦めたときに、それがかたちを変えた妄執のようになってしまうのも、また怖いと思う。どういうかたちであれ、「かたち」を与えてあげたとき、「それ」は昇天するような気がするのだけど、どうだろう?