タイム・トラヴェラー

北国の家を後にした日は、冬が戻ったような冷え込みで、手袋を忘れた私は、ターミナル駅のホームでかじかんだ手をこすり合わせていた。久々に汽車に乗ったのだった。駅員のダブルブレストのコートが物珍しく感じられた。

 

  北国の鉄道員が紺色の コートの襟立て 指呼する4月

 

まだ新芽が出る前の早春にこの路線に乗ったのは初めてだった。5月の新緑もとびきり美しいけれど、鞭のような裸木の描線が美しく、私に銅板画の才能があったなら、是非、これをエッチングにしたいと思ったことだった。そこに、折々に挿入される汽笛の音。どこか物哀しく、懐かしい音色。

 

  春浅き 白樺の林 かたわらに

             ひた走る列車 汽笛がポウと

 

天候にも恵まれて、ひとっとびして還ってきたメトロポリアは、春風が吹いていた。私は再び、何の苦もなくその風景の一員となった。

 

「新しい家」の鍵を受け取りにいくと、そこはもう5月のようだった。欅の巨樹の先端が、きみどり色のレース細工のように高い空に広がって。そういえば、子供の頃に住んでいた家にも、欅が何本かあった。その枝がざわざわ鳴る音を聴いて眠ると、とても安心できたっけ。欅の葉の鳴る音がする家に住むことが望みだったのだが、そのことはすっかり忘れていた。

 

二日のあいだに、冬から初夏へと移動したなんて、まるでタイム・トラヴェラーのよう。この町ではひとびとは穏やかに、買い物やお茶を楽しんでいる。平和そのものの光景だ。

 

この1年半、数度、メトロポリアへ帰ってきていたけれど、最初はおっかなびっくりだった。そして、だんだん、「何も起こらない」ことがわかってきた。「恐怖」は私のこころのなかにのみあったのだろうか。まったくそうとは言えないだろう。けれど、これでひとつの「マインドコントロール」が解けたのだった。

 

私の「マインドコントロール」が割合簡単に解けたのには理由がある。自慢できることではないのだが、そうした経験を何回か重ねているので、「このパターンはまずいな」というアラームがはたらくようだ。経験知と言ってもいいだろう。とくに、「食事」に関する過剰なコントロールについて。放射能汚染にはこの問題が付いて回る。極端なヴェジタリアニズムや自然食とも同根の問題がここにはある。(これで、こころを病んだり、人間関係が破壊されたケースをいろいろ見てきた。)

 

まあ、そんなことは今はどうでもよいだろう。春風が吹いている。舗道脇にはパンジーが咲き、アスファルトのすみっこから雑草が生えているのさえ、北国ではあまり見られなかったので、嬉しい。

 

時ならぬ季節風に乗って旅をした。リアルな、そして「こころの旅路」も。