ミミズのつぶやき 2

春らしく陽射しが暖かい日。この土地にミミズがいるのか、いないのか、いずれにしてもまだミミズが出てくるような気候ではないだろう。明日からはまた寒くなると言っている。チリ地震津波のために、テレビはほぼ一日、ずっと津波関係のテロップが出ていた。

 

「ミミズのつぶやき (その1)」は、もともと「陰謀論者の梯子」というタイトルのエントリーを改題したものだった。陰謀論者に検索されたくない、という意図があって、曖昧な、わけのわからないものにしたのだった。

 

いつもそんなに読むわけではない作家の、林真理子のエッセイを、本屋でたまたま見つけて、読んだ。これが案外面白くて、週刊文春本誌で時々読むときは「身辺だらだら雑記」だなあ、と思うのだが、それが編集された最新刊の文庫版は、東日本大震災直後から1年ほどのエッセイを集めたもの。「あの時」の街の様子も生々しく、また、彼女がどのような行動をし、何を感じていたか、が分かって、すこぶる興味深かった。

 

簡単に言うと、林真理子は何度も被災地に足を運び、チャリティバザーなどを東京で手伝って義援金を集めたり、被災地の学校で授業を担当したり、と、「やらずにはいられない」精神で、飛び回っていて、そのことに驚嘆した。しかも、そのあいだを縫ってもちろん仕事もしているし、観劇や外食というように、「お金を回す」経済行為を積極的につづけていた。

 

私は全く知らなかったが東日本大震災当時、ブログやツイッターのようなネット社会では、こうした作家や音楽家や芸能人が平時と同じように、街で遊んだり、楽しいことをやっていることに、非常な批判があって、彼らはたいそう叩かれたようだった。(私も、芸能人やアーティストが被災地に”慰問”に押しかけるのを、半ば苦々しく眺めていたわけだったが)

 

たしかに、節電下の東京は非常時的で、オペラなどもメインキャストが出演をキャンセルしたり、歌舞音曲の公演は中止が少なからずあった。(昭和天皇危篤、崩御時に似て)。美術展もそうだった。私も楽しみにしていた「モランディ」の大回顧展がキャンセルになって、たいそうショックだった。(これは主催者というより、主に保険会社の引き受け手がないためだったようだ)

 

パソコンを使わない、林真理子はこの時初めて、iPadを使ってネットにアクセスし、ネット上の悪意に満ちた言説の数々にショックを受けたのだという。

 

普通のひとは、好きでなくても、「2ちゃんねる」ぐらいは一度はみたことがあるだろうからさほど驚かないだろうが、彼女にはショックだったようだ。その、匿名性の「悪意」の強さにおいて。

 

林真理子のライフスタイルは必ずしも共感が持てないし、何らの共通な関心もないのだが、しかし、「バブルで軽薄なひと」と思っていた林真理子が案外、どこかに人間として純なものをもっていて(つまり、困っているひとをなんとか助けたい。自分も何かをしたい)、一方、その「バブルさ」を批判する、ネットヘヴィーユーザーたちが、自らの安全のみが関心事で、放射能からひたすら「逃げる」ことだけ考えている不健康さ、というものを感じたのであった。

 

彼らとは一線も二線も画したいが、一方で「食べて応援」という気持ちにはなれないし、申し訳ないが、東北へ足を運ぶことさえためらわれる自分の立ち位置に、もやもやとした気持ちがする今日この頃である。

 

あと1週間で首都圏へ戻るのだが、水や食料の管理はするとしても、呼気による被曝はある程度は覚悟しなくてはならないし…と思う一方、何らなすことがなく、この土地でいわば「根腐れ」している状況を脱するための決断だったのだが、心中は複雑だ。

 

かつて、チェルノブイリ事故による移住者の疾病統計の話を、ロシアの科学者のレクチャーとして聞いたことがあったが、その頃は、まさかそうした放射能汚染による移住のディレンマが自分に降り掛かってくるとは思ってもみなかった。

 

ただ、ベーシックな観点としては、今は日本の国力を削がないことが、政治や外交上、最も大切なことだと思っている。いくら縄文人のような生活で日本列島に棲みついていればいいではないかと言っても、それが他国の占領下だったりすれば、囚人と同じであるからだ。

 

いまは、大戦前に似た「日本包囲網」が狭まってきているのを感じる。占領時に計画がキャンセルされた幻の道路が、新しい虎ノ門ヒルズ付近に開通したが、通称「マッカーサー道路」というのが、象徴的である。

 

東京オリンピックにも当然反対だったのだが、「操業中の自転車」日本が倒れないためなら、それだって効果があればよい、と思う、春愁の今日このごろなのである。