最近はあまり読書をしなくなったが、ふと思いついて、若きウェルテルを手に取った。初めてOに行った時に、書棚から借り出してそのままになっている4冊ぐらいの本の一つだ。

ケースに入っているのだが、実際に手に取ったのは初めて。扉のページに蔵書印が押してあるのに気がついた。また、最初の方だけだけど、付箋が4、5本立ててある。私が読んだのだろうか。でも、記憶がない。

私はウェルテルをちゃんと読んだことはなかったから、今回読み始めてみて、改めて、優れた作品なのだなと思った。パラパラ読みをしてみると、啓蒙主義時代の作品らしく、ウェルテルの墓には牧師は誰も来なかったとか、ウェルテル自身が遺書にサマリヤ人だけが、墓のそばを通るだろう、と書いている。

今年の夏は、セミが鳴き始めるのが遅く、それに、もう9月半ばぐらいから、あまり鳴かなくなってしまった。ミンミンゼミが終わって、カナカナなどに変わってゆく、季節的な推移も

なかった。何しろ、異常なまでの暑さだったのだ。

私は、鬱(今でもワームやオーメンは一種の霊現象だと思っているけれど)に加えて、2、3カ月前から、足指や手指の指先からじわっと出血することが続き、医者も二件行ったけど、塗り薬が出るだけで、改善しなかった。これにも本当に困っている。

ここだけが、正直にいろんなことが書ける唯一の場所であることは、本当に有難い。おともだちが読んでくれることが。

ここ数日、おともだちの訪問がない。孤立している私が、N堂へ行ったり、昔の学校仲間と連絡をとったりするのが原因だろうか。それとも、ワームやオーメンがあんまり辛くて、「死にたい」と独語することが原因だろうか。それとも、家族との関係だろうか。

私がオーメンと呼んでいるものの怖さと言ったら、、、、。

 

現在、パンしか食べられないことになっているのだけど、一昨晩、「もうワームの歌も無視し、オーメンも私の妄想だと思うことにしよう、あんまり苦しいので」と考えて、昨日、駅ビルのフランチャイズの寿司屋を外から覗いてみた。

 

そこには、眼帯をした女性が一人で寿司を食べているのが見えて、ギョッとした。眼帯は、

「言いつけ」を守らないと私のところにやってくる親族のDV男のふるう暴力の象徴である。

流石に、タイミングが良すぎて、寿司屋は諦めた。また、パンだけの生活。

 

 

おともだちと連絡が取れなくなってもうどれぐらいになるだろう。最後に電話をもらったのが、18年の夏頃だったと思うので、もう5年になる。