おともだちとの間を振り返ってみると、本当に申し訳ないと思う気持ちでいっぱいです。口はばったくも「二人が一緒になれば」と今更のように言っていますけれど、

2009年の夏前だったか、おともだちの言葉を誤解して私が怒ったことがあり、おともだちからはすぐに謝罪の連絡があったにもかかわらず、我を張り続けたということがありました。

 

あのときはおともだちが素直に気持ちを伝えたにもかかわらず、私は怒りにまかせて自分の解釈で目が見えなくなっていたのでした。ずっとあとで、それは違う意味で言われたのだということがわかったのですが…。

 

それでも、その年はなんとか「お迎え」に行くことができました。おともだちに会えて、本当に幸せでした。あの公園を一緒に歩くことはもう二度とないと思っていたので、まるで夢のようでした。今もあの時の感激は忘れません。

 

その一件のように、私には自分が真実だと思いこんだことにむやみと固執する一方で、とても言葉足らずのところがあるのです。そのときも「それはどういうことなの?」と一言訊ねれば、誤解は解けるはずのことだったのに…。肝心のところでいつも言葉が足りないのです。そして一方的に断定してしまったりと。

 

言い訳のようですけど、この気短かに即断してしまい、コミュニケーションがうまくできないところが実は私の最大の欠点で、しかも、一見そんな風には見えないので、ますます誤解を生んでしまうというところがあります。ひどく不器用なのです。

 

その上に我を張る性格が災いして、これまでも、おともだちからの歩み寄りや暗黙のサジェスチョンがあったときにそれを応ぜず、せっかくの機会を結果的に自ら壊してきたことが少なからずありました。2年前の夏にせっかく久々に連絡をもらったというのに…。

 

振り返ると、後悔ばかりが残ります。自分の今の境涯を嘆いてばかりいますが、それは自ら撒いた種でもあるのです。

 

これからは、そうした自分の性格をよく心得て、「足りない言葉」、気持ちをフォローするような言葉をもっと増やし、一方で、振り回す持論みたいなものを捨てていきたいと心から思っているのです。