炉端

昨日の夜、本棚のノートが目について、取り出して出して読んでいたのですが。

 

2009年の8月の瞑想のメモみたいなものですが、そういえばそんなことがあったなあと。

 

行く手が三本に分かれた分岐点に私は立っていて、真ん中の道は明るくキラキラしていて、そこを行くと、その先は暗く、3年経って、空が藍色に夜明けらしくなりますが、

そのあとは、またずっと暗いのです。屋敷林が見えて、郷里の感じがあります。

 

分岐点に戻ると、三本あった左の道はもう消えていて(東京らしいです)、右側の道が明るくなっています。その道はとても広く、さっき見たときは蛍光灯のような灯りだったのが、優しい光になっていて、おともだちのおとうさんが出てきます。どんどん先へ歩いて行くと、小さな家があって、炉端でおともだちが何か細工物をつくっていて、傍に赤ん坊がいます。赤ん坊は黄金いろの光につつまれて。

 

部屋のなかに「土星」が座っていて、「あなたは誰」と尋ねると、ひとしきり、唸ったり暴れたり、暴風雨になったりして、そのうちに静かになります。そして、単なるクラゲになって潰れてしまいます。

 

土星が去ると、赤ん坊は私の体に入って、穏やかな平和な気分になり、その気分は家全体に満ちています。

 

といったものです。「別の女性」の妊娠力には私は精神力みたいなものでしか対抗できないと思っていたのですが、先月の終わりぐらいだったでしょうか、今、あなたが妊娠について考えると、二重発注になってしまう。08年の契約はまだ有効なのだから、というメッセージ、2020年を超えて、落ち着いたら、ありうることなのだから…と。

 

こういうことは物理的な年齢は関係ないようです。ただし、運命の車輪が回って、常に「別人」にいってしまう危険性がありますから、今はあまり考えないほうがいいとは思っています。

 

昨年は毎年やっている女性の検診をスキップしたのですが、なぜかといえば、予約をとったら、奇妙に乳母車のひとたちに会うようになり、どの親もボーダー柄のシャツなど囚人服風なものを着ていて、「ああ、ガンなどのチェックなのだけど、それでも、クリニックへ行ったら、母蹂躙下での妊娠とかにつながってしまうのだな」と思って、キャンセルしました。今年も予約は差し止められました。

 

ワームが言うには、暴力「別人」は妊娠能力がないということなのですが、今はとりあえずこの問題は凍結しておくほうが、よいということなのでしょう。

 

おともだちも私も、命の危険をもたらす「あらゆる別人」を避けることが、過酷な運命を避けることにつながるのだと思います。