昨日のクローズした記事のことですけど、おともだちを不愉快にさせてしまった反省とともに、同時に大きな不安が膨らんでいきました。
最後の「事件」の部分だけ書いたのだったら、おともだちは「彼女」に近づくことはないでしょう。が、男性であるおともだちにとって、次の世代をもうけられることは、大きな魅力でもありメリットではないかという思いです。
そうして、なぜ、誠実なはずのおともだちがそこに向かうかといえば、私にとっては、まったく「切れてしまっている」「別人」の影こそが、おともだちを「彼女」に向かわせるのではないか…。私に曖昧さや不誠実があったとは思いませんが、いつまでもオカルト空間をうろつくこの男のことは、おともだちにとって、喉に刺さったトゲのようだとしたら…。それはまことに申し訳ないことです。
そうして、子供のことは「事実」ではなかったわけですが、長年の思い込みの蓄積は形をとっているらしく、オカルト的に言えば、何らかの残滓のようなものがあったのでしょう、あの記事を書いたあと、うとうとしていたら、私の首の回りにまつわりついている小さないじけた人形みたいなものがあったので祓っておきました。
私自身、あそこに書いた夢のことは、すでに私のなかで、子供の問題がもう過去のものになって、なんのこだわりもなくなっていたので、あのように無防備に夢の内容を書いてしまったのですが…。あなたの側ではなぜこの話題を持ち出したのかと、不愉快であるはずだと、あとで気づきました。遅すぎましたけれど。
そのデリカシーのなさを改めてお詫びしたいと思います。
人生はちょっとしたボタンの掛け違いで、大きく変わっていくことがままあります。昨日、私が余計なことを書いたことも、「掛け違い」のひとつといえます。
話を戻しますと、昨日の記事を書いたことで、私のなかにおともだちが彼女のほうへ行ってしまうのではという不安が芽生えたわけですが、考えてみれば、10年待ったから、私のところへ来て、というのは、勝手なのかもしれません。あなたが待っていてくれと頼んだわけではありませんから。
でも、細々と長い年月、ネットを通じて、お互いに感情を通わせてきた私たちの過去は
万一そうなったとしたら、何の意味もない、ただの時間の堆積になってしまうのです。
それはとても寂しいことだし、私にとっては耐え難いことです。
だから、敢えて言いたいと思います。私の、私のところへ帰ってきて、と。