昨日はおともだちのアクセスが途絶えて、だんだん不安が募っていきました。ブログにもあれこれいくつか書いてみたりして、さらに、内容が不適切なのかなと書き直したりしていたのですが、アクセスはありませんでした。

 

それで思い余って、おともだちの本名と愛称を呼んだのです。以前やはり夜におともだちの名前を呼んだことがあるのですが、「お名前」と同じ発音になる、長い棒のようなものに、蹂躙者のシールが貼り付いている夢をそのあと見て、「ああ、こちらの名前だとこうなってしまうのだな」とわかってやめました。

 

ブログを読んでもらうために名前を呼んだというより、どうしようもなくて切なくなって呼びかけたのでした。

 

その時間帯でした、20時間ぶりぐらいにアクセスがあったのは。後で気づいたのですが。意図したわけではないので、驚くと同時にほっとしたのでした。

 

今日は、駐車場みたいな草原のところに黒い小さいクルマがとまっている夢を見ました。そばにクレジットカードが落ちている。

 

駐車場はこの団地のそれのように見えます。なんだろうと、見たときは分かりませんでした。

 

あとで気づいたのですが、黒いクルマはローバーのミニではないかと。私は以前嵌っていた女探偵の活躍するシリーズもので、主人公がミニに乗っていて、難事件の解決ぶりとかも含めて、惹きつけられていたのです。

 

私は運転はしませんが、「でも、運転するのだったら、絶対にミニよ」みたいなことを言っていた記憶があります。実際は使いにくいクルマだそうで、軽薄なことを言っていたのだなあと今は思います。

 

そのミニですが、この団地の一角にたしかに黒いのが一台いつもとまっているのです。

しかもそれは私の棲んでいるエリアよりは駅寄りの、このあいだピンクの付箋に書かれていた②号棟の駐車場。振り返ってみれば、今のエレベーターのない棟が不便なので、この②に下見を兼ねて上がってみたことが以前あったのでした。

 

その夢は、作家になるとか、ミニにのりたいとか、そうしたことをどこかで考えているのでは?そんなことだと、ペンペン草が生えるように自分の経済的状況も危なくなる、と言っているのではないかと思います。ミニもおそらく安いクルマではないですし、作家活動とか、そういった潜在的願望と結びついていたのかもしれません。

 

今ごろなぜそんな昔、ちょっとだけ言ったことが夢に出てくるのかと不思議に思いますが、観察するところ、人生はそれまでの、言動や思いといったものが積み重なって、それらが舵取りをするといった部分があるような気がします。実際、②に上がってみたことがあるので、ピンクの付箋にも②として出てきたのでしょう。

 

80年代に私はニューエイジ的なものにかなり染まっていて、見果てぬ夢、現実性や計画性のない、夢見がちな世界にいたことのツケが今ごろ回ってきたということでしょうか。怖いことです。アイドル歌手を夢見て田舎から上京する女の子とさして変わりません。

 

そもそも、私がシャーリー・マクレーンの書いた一連のチャネリングものとかを読むようになったのは、女性雑誌の影響でした。それを考えると、夢がさかんにゴミ山の上の雑誌を見せるのも分かるような気がします。また私が長らく雑誌編集の現場にいた、そうした「時間」の蓄積も影響しているのでしょう。

 

それにしても、私も忘れている言動や行動の逐一を出してくる、この夢、これはいったい何なのでしょうか。