Ermine

家のなかに、熱風が吹いています。今日はひときわ湿度が高いようです。

 

今日で7月も終わり。蹂躙されずここに住み続けていられるか否かの「分水嶺」の8日まで、あますところ、1週間ぐらいとなりました。

 

不安な日々ですが、もうなるようにしかならない、と、思うようになりました。

 

小さなイコンで挟まれるようにして飾ってある、レオナルドの「白貂を抱いた貴婦人」の絵葉書があります。

 

朝な夕なに眺めている、私の「こころの友」と言っていい絵。他の何とも比較はできません。それほど私にとっては特別なもの。

 

 

今日、この絵のことを書いているのは、今の私は「運命の分岐点」みたいなところにおり、今日も感じましたが、いろんな意味で、ひとつ間違えると死に至るといった、危ういところにいるようです。

 

怖れは間歇的に襲ってきますが、しかし、この絵をみると勇気づけられるのです。

 蹂躙されるくらいだったら死ぬ、そう思うと、こころが軽くなるのです。

 

レオナルドは「手稿」のなかで、白貂のことを「身を汚すよりは、死を欲する」「泥まみれの穴に逃げ込むより、猟師に捉えられるにまかす。その身を汚さないために」と書いているといいます。

 

2002年の春浅いころ、横浜の美術館でこれを見たときに、もちろん強く惹かれはしましたが、自分の運命といったものとの重なりを予想だにしなかったのは、皮肉なことといえば皮肉なことかもしれません。

 

もちろん、死に追い込まれることがないのが、一番ですけど…。

 

毎日怖れと対峙して暮らすのは、ほんとうに人間を蝕むところがあります。