濃縮

昨日書いたけれど、最近、自分の周りの空間が密度を増したような感じがあって、ちょっとしたことで「反応」が起きてしまうので、常に緊張状態にある。

 

超常現象というほどでもないけれど、イコンがパタンと倒れたりすることもよくある。

 

買い物にいくために着替えをしてクローゼットの引き戸をバタンを閉めたら、ちょっと離れたところにある小さなイコンが倒れたことがあった。そんなに乱暴に閉めたわけでもないのに…と不審に思い、何度か再現実験してみたけれど、倒れないので、これは着ているものが妥当でないというサインだろうか…と考えてみたり。

 

いつも同じものを着ているのだが、「あの人」と覚えられやすいかもしれないから、と着替えてみた。正解はどうかはわからないが。

 

今までイコンが倒れたことなど地震でさえも皆無だったので、警告が多くなっているのだろうかと考えたり。おともだちとの関係に支障が、揺らぎが?…と思ったりもするが、ちょっと違う気がする。印象としては、物語などで終盤に近くなってくると、どんどん課題が降ってきたり、敵がやたらと増えてきたり、というのに似ている。

 

もちろん自分の「意識」のありようも関係しているのだろうが、それだけでもないと思う。

 

ペットボトルや普通のプラスチックのゴミを出しにいくのも、非常に危険ということらしく、夜明けごろに持っていかなくてはならなくなった。これまでは普通にやっていたことだが、ゴミ置場で人に遭遇すれば「ここの住人」と認識されるということなのか。

 

ネットの閲覧も自分のブログ以外はほぼできなくなって、検索も不可能になった。どういう繋がりかは不明だが、検索行動をすると、親族の追跡が活発化、暴走化するようである。

 

なるべく普通に家事をして、普通に暮らすことを(やっていることは普通でないが)こころがけているけれども。

 

おともだち宛に書いている、このブログもちょっとしたことが起爆剤になってしまいそうなので、何を書いたらよいのか、最近はものすごく迷ってしまう。地雷をよけていると前に進めなくなってしまうのと似ているが、それでも進まなくてはいけない。

 

それならばと、書くのが難しいことを書けばよいではないか、現実をありのままに、

と、今日は考えた。今の生活を書くことは愚痴になりがちなので、それもなるべく避けていたのだけれど。

 

なんでもかんでも書いていいということではないが、これまでは書くと逆区効果と思い避けていた苦境なども、ありのままに書くことしかもはやできない…と。

 

書くことには必ずどこかで結果や効果を予測しつつおこなうコントロールがある。それはいわば戦略的な意識である。が、ここまでの苦境に至っては、そうした無意識の狙いさえもはずすしかないのかも、と。

 

おともだちは、friendではなくてconfidant。