昨晩、就寝時、目を閉じると自然いろんなことを考えるのだけれど、私はどうしてこんなにおともだちのことが大好きなんだろう…という思いが、湧いてきた。
再会してから10年。ほとんど会っていないわけだし、普通に音信をやりとりしているわけでもない。
けれど執着というのともちょっと違うような気がする。
私はおともだちの「才能」に魅せられている部分はある。
けれでも、それだけではない。おともだちは子供みたいな純真な部分をどこかに持っている。いくつになっても。
おともだちは、時々、子供が言うように、「ぼくのおかあさん」とか「うちのおとうさんが」と言ったりする。そして、その響きが、昔の日本の、何か静かで平和な昭和の時代の雰囲気を醸し出しているのである。すごく綺麗な日本語と言ったらよいのか…。
外国に長く居たひとのほうが、日本語のエッセンスを保っているとよく言われるけれど、おともだちのパーソナリティも加味されて、独特の懐かしい響きになっている「ぼくのおかあさん」。たぶんきっと、私はおともだちの声とか発声にまつわるものも好きなのかもしれない。
もうひとつは、おともだちの「何が」ということではなく、私がおともだちの傍にいると「感じる」もの。普段の生活では感じることのない、自分が女性であること、
それを強く感じるのである。なにか当惑してしまうような、落ちつかないような、それでいてとても嬉しいような、なんとも言えない感覚。
心底、好ましい。
おともだちは、魂の故郷みたいなもの。