グラフ

このブログのアクセスは毎時のものと、日ごとのトータルを棒グラフで書いてあるのだが、春分の日を境に、おともだちの訪問のグラフの日計の高さはうんと小さくなった。

 

カウントが多くて、目盛りが5刻み、最大数十にもなった1、2月ごろと違って、今はマックスで5の目盛りが毎日である。

 

まさに春分、「分ける」という分岐点というのはあるんだなあ…と。なにが原因かは分からないが。春分の日には雪が降った。

 

誰にも会わず、誰とも話さず、毎日ひとりで食事をし、食事も今は白いご飯と水だけになった。

 

家はカーテンで閉めきって、買い物以外はぶらぶら歩きも許されない。

 

処分するものはいろいろありすぎて、しかも、梱包の仕方や捨て方がケースバイケースで難しい。私自身は「見えない世界」の目をもっていないから、なぜそれでダメなのかもよくわからなかったりする。失敗して回収すればゴミ置場の匂いが玄関に漂う。

 

一歩外に出れば、さまざまな「オーメン」が押し寄せてきて、疲れずに歩くこともできない。

 

あまりに過酷で先ほどから、見えない「ガイド」に苦情を言っていた。避けるべき暗い未来ばかり見せられては、精神がもたない、と。警告はわかるが、せめて、少しの希望、希望だけでも見せてくれれば…と。

 

当然ながら、すごく痩せて、暗い表情の自分であり、自分だと信じられないぐらいである。そしていつもお腹をすかせている。

 

おともだちこそは「希望」なのだけど、いつも私とは違う未来世界で、違うひとと、何かをやっている。